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# 物と向き合う。
こんにちは、蓮です。

何年か前に、「断捨離」という言葉が流行りましたよね。“流行った”とまではいかないかもしれませんが、この、音といい字面といい厳めしい印象の言葉、今では殆どの人に通じる気がします。ただ、その意味については、大抵の人は「物をじゃんじゃん捨てること」くらいにしか思っていないようです。しかし、この言葉は元々ヨガの行法(「断行」「捨行」「離行」)に由来しており、単に物を捨てる・片付けるといった整理術に留まらず、どう生きるかについての一つの考え方なのだそう。

逆に、ヨガ発祥の地インドに、「断捨離」に基づいた片付けの法が存在するのかはわかりませんが、物とどう付き合うかについて考えを巡らすことは、現代の消費社会に共通する姿なのかもしれません。

先日、『365日のシンプルライフ』というフィンランド映画を見てきました。監督・脚本・主演を務めた26歳のペトリ・ルーッカイネンが実際に行った、物と向き合う実験を描いた作品です。

実験のルールは4つ。
1.まず、持ち物を全て倉庫に預ける。
2.1日に1つだけ、倉庫から物を取ってくる。
3.この生活を1年間続ける。
4.その1年間は物を新たに買わない。

このルールを聞いただけで面白そう!と思って見たのですが、正直、「ん?これはどうなってるの??」と思う箇所も幾つもあるし、映画としては舌足らずなところもあって、傑作・名作というような大仰な作品ではありません。

でも、“必要な物・好きな物が全て揃った何の不足もない生活をしているのに、なぜ自分は幸せではないのか?”と疑問に思った主人公が、物との付き合い方を一から見つめ直そうと始めたこの試み自体が面白く惹き付けられるのは、自分自身、引っ越しの際に「一人暮らしでどうしてこんなに物が多いのか?」と我ながら驚いたり、部屋を見回して「これホントは全部なんて必要ないんだよなぁ」と思ったりした経験があるからかもしれません。私に限らず、少なからぬ人がそんな風に感じたことがあるのではないでしょうか。

しかし、そう思いつつも、ちょこちょこ整頓をしてみたり、思い切ってある程度ゴミに出して「こんなに片付けた!」と自画自賛するのが関の山。ペトリのように一旦部屋を空っぽにして、本当に必要な物を見極めながら、一つずつ戻していくなんて大胆な作戦に出る人はなかなかいないわけで…だからこそ、そんな彼の行動を追ってみたくなるのでしょう。

だいたい、ペトリがこの実験を始めたのは雪積もる冬のヘルシンキ。にも拘らず、パンツ1枚残さず倉庫に預けてしまった彼は、全裸で部屋を出て、ゴミ捨て場で調達した新聞紙で局部を隠しながら、裸足で雪道を倉庫に向かうのです。挙句、倉庫で最初に持ち帰ることにしたのは、コート1着。数日間、彼は下着も着けずに過ごすことになります。そりゃあ、あの気候では、防寒優先になるも納得ですが…。

普通の人は、たとえ同じ実験を思いついても、おそらく「いや、今は寒すぎて大変だ。春になってから始めよう」と思う筈です。私ならそうします。でも、そういう人間は、きっと春になっても夏になっても何やかやと理由をつけ、結局始めることなく終わるような気がします。ですから私など、ペトリのこの実行力だけでも称賛に値すると思ってしまうのです。

印象的だったのは、彼の「所有は責任であり、物は重荷になる」という言葉。確かに、縁あって手元に置いた物ならば、それを活かしてやることは所有者の責任だし、きちんと愛をもって維持・保管・使用することは、数が増えるほど重荷になります。そしてこれは、物だけでなく、人間関係等、人生の他の局面にも言えることかもしれません。やはり、国を問わず、物にきちんと向き合うということは、断捨離同様、片付けという行為を超えて哲学することへと通じるのですね。

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