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# インディラ・ガンディーの言葉(3)
こんにちは。さふらんです。今日は政治家としてのインディラの姿を追ってみたいと思います。

《首相就任、まさかの展開》
インディラの父であるネルーが首相在任中に亡くなった時、その後を継いだのはシャストリでした。しかしながらそのシャストリも、わずか2年後、またもや在任中に急逝してしまいます。この時、会議派重鎮を中心とするインドの政治エリート達はインディラに首相として政治の表舞台に立つよう、強く働きかけました。

この背後には、ネルーの一人娘として強力な「ブランド」力を持ち、なおかつ意のままに操ることができるインディラを頭に戴き、傀儡政権を樹立しようという目論見があったと言われています。しかしながら、そんな彼らの思惑は見事に裏切られることになります。インディラは首相に就任するや否や驚異の行動力を発揮し、怒濤の政治生活に入っていくのです。

《数々の政策》
首相となったインディラはまず、融資獲得のための通貨切り下げや、大手銀行の国有化と言った経済政策をおし進めます。このうち反米政策の一環でもあった銀行国有化には会議派内から大きな反対が起こり、事態は会議派の分裂にまで発展します。1971年にはバングラデシュの独立戦争に介入する形で第三次印パ戦争が勃発、これに僅か数週間で勝利。インド亜大陸におけるインドの覇権を盤石にするとともに、アメリカが肩入れしていたパキスタンとの戦争を経て、インドの社会主義色はますます強まっていきました。

独立を果たしたものの、インドの経済状態、特に貧困問題は深刻でした。インディラの「鉄の女」ぶりを語る際によく引き合いに出される家族計画政策(特に貧困層を対象とした断種政策)も、その背景にあったのは人口過剰がインドの貧困問題を助長しているとの認識でした。1971年の総選挙をインディラは、「貧困追放」をスローガンに戦い、勝利を収めます。
《インディラ、還暦で迎えるピンチ》
しかしながら、一見インディラへの追い風のように見えるこの選挙は、彼女の政治生命を脅かす火種をはらんでいました。この時のインディラの選挙活動に違法行為があったとの糾弾がなされ、実際に1975年、最高裁によりインディラ有罪の判決が下されたのです。これを受けたインディラは21カ月もの間、インドを「非常事態宣言」下におき、対抗勢力の排除を強行します。

そのようなインディラの姿に反旗を翻したのは、それまで彼女を支えていたインド国民でした。1977年の選挙でインディラ率いる会議派(インディラ派)は惨敗を喫します。インド独立の礎となり、独立後も一貫して政権を担ってきた国民会議派が、ここにきてついに初めて下野し、齢60歳のインディラも逮捕されてしまいます。


今日は、インディラが「会議派(Congress)」について語った言葉を引用します。インドという国家にとって、国を独立に導き、その後も30年に亘って政権に就いていた国民会議派という組織が特別な政党であることは明らかですが、インディラにとっても、生まれた時から身近にあり、その中で育ったと言っても過言でない会議派は政党や組織を超えた特別な存在であったことでしょう。その会議派を自らの手で分裂させ、下野させてしまったインディラは、果たしてどのような思いを抱いていたのでしょうか。

“Congress:
With all my love and pride in the Congress organization, I must say that there is something which is bigger than the Congress, and that is our country and our people. And the day we forget that and talk only about our party, that day will see the weakening of the party.”

「私が会議派に対して抱いている全ての愛と誇りを以てしても、世の中には会議派より大切なものがあると言わざるをえない。それは我々の国であり、その民である。我々がこのことを忘れ、我々の政党についてばかり語るようになった時にこそ、会議派の弱体化が始まるだろう」

次回は、インディラの驚異の復活とその死について書きたいと思います。

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