2014-05-20 : 21:49 : admin
さふらんです。初夏の緑がまぶしい気持ちのいい季節ですね。
さて、ニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、最近インドでは国会下院の総選挙が行われました。「世界最大の」民主主義国家を標榜するだけあり、有権者数が多くまた国土も広いインドでは、総選挙は一カ月以上に亘って各地で投票が行われていく壮大なプロジェクトになります。
今回は政権が変わる見通しが高かったこともあり、海外からも注目される選挙だったのではないでしょうか。先週、遂に発表された選挙結果は、大方の予想通り(あるいは予想以上の)野党BJPの圧勝、というものでした。
州レベルで積極的な企業誘致と市場経済の導入に成功したグジャラート州首相でBJP首相候補のモディ氏が、停滞感のあるインドの経済成長を再び活気づけるという期待から、インド株式市場も連日最高記録を更新しています。
また一方で、チャイ売りの家庭に生まれ、政治家として成功してからも身内を引き込むことをしない(これは特にインドでは信じられないことです)といった人物像も、反汚職の機運高まる現在のインドで、モディ氏が歓迎される要因となったのでしょう。
州レベルでの経済政策の成功を、必ずしもそのまま国家レベルの経済に応用できるとは限らないとは思いますが、そういったモディ次期首相のリーダーシップがこれからのインドをどのように形作っていくか、最近はすっかりインドから遠のいてしまった私も興味があります。
タイトルに、仕事と生活、と大仰な言葉を入れてしまいましたが、最近の私はよくそれについて考えます。遅ればせながら勤め人になって一年が過ぎ、ここ半年は残業が日常の生活を送る中、週末が楽しみという人並みな感覚を覚える一方で、失う物の大きさにも思いを巡らせずにはいられません。
最近は日も長くなってきましたが、早朝出勤・深夜退社では、下手をすると一日一度もお日様にあたらずにパソコンに向かう、ということが当たり前になってしまいます。実際世間には、そういう生活をしている人が思った以上にいるのだということを、ほんとうに今更なのですが実感として知って、やはりそこには大切な物、というより、人として不可欠ななにかが欠落しているように思えてしまうのです。
話はもどって。市場主義経済推進派の新首相が生まれたかの国で、経済の発展がそういう勤め人の増加に繋がるのなら、それは今までの豊かさの形と変わりがないように思えます。21世紀の経済大国インドで、人間らしさを犠牲にしない豊かさは実現されるか。そういった意味でも個人的な興味があるのです。
続き▽
さて、ニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、最近インドでは国会下院の総選挙が行われました。「世界最大の」民主主義国家を標榜するだけあり、有権者数が多くまた国土も広いインドでは、総選挙は一カ月以上に亘って各地で投票が行われていく壮大なプロジェクトになります。
今回は政権が変わる見通しが高かったこともあり、海外からも注目される選挙だったのではないでしょうか。先週、遂に発表された選挙結果は、大方の予想通り(あるいは予想以上の)野党BJPの圧勝、というものでした。
州レベルで積極的な企業誘致と市場経済の導入に成功したグジャラート州首相でBJP首相候補のモディ氏が、停滞感のあるインドの経済成長を再び活気づけるという期待から、インド株式市場も連日最高記録を更新しています。
また一方で、チャイ売りの家庭に生まれ、政治家として成功してからも身内を引き込むことをしない(これは特にインドでは信じられないことです)といった人物像も、反汚職の機運高まる現在のインドで、モディ氏が歓迎される要因となったのでしょう。
州レベルでの経済政策の成功を、必ずしもそのまま国家レベルの経済に応用できるとは限らないとは思いますが、そういったモディ次期首相のリーダーシップがこれからのインドをどのように形作っていくか、最近はすっかりインドから遠のいてしまった私も興味があります。
タイトルに、仕事と生活、と大仰な言葉を入れてしまいましたが、最近の私はよくそれについて考えます。遅ればせながら勤め人になって一年が過ぎ、ここ半年は残業が日常の生活を送る中、週末が楽しみという人並みな感覚を覚える一方で、失う物の大きさにも思いを巡らせずにはいられません。
最近は日も長くなってきましたが、早朝出勤・深夜退社では、下手をすると一日一度もお日様にあたらずにパソコンに向かう、ということが当たり前になってしまいます。実際世間には、そういう生活をしている人が思った以上にいるのだということを、ほんとうに今更なのですが実感として知って、やはりそこには大切な物、というより、人として不可欠ななにかが欠落しているように思えてしまうのです。
話はもどって。市場主義経済推進派の新首相が生まれたかの国で、経済の発展がそういう勤め人の増加に繋がるのなら、それは今までの豊かさの形と変わりがないように思えます。21世紀の経済大国インドで、人間らしさを犠牲にしない豊かさは実現されるか。そういった意味でも個人的な興味があるのです。
続き▽
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2013-10-29 : 17:48 : admin
さふらんです。朝晩の冷えが厳しくなってきました。あたたかい飲み物がうれしい季節です。
この週末、以前こちらにも書いたインド映画(2013年9月20日 インドin日本の地方都市の話)の一つを劇場に見に行きました。映画のタイトルは「スタンリーのお弁当箱」。一見、インド映画とは思えないタイトルですが、内容もまた然り。一般的にインド映画と聞いて想像する、アクションありお色気あり、世界各地の名所を舞台にしたミュージカルシーン必須の3時間超、といった作品とは対照的な、ムンバイの一つの小学校を舞台に繰り広げられる子供達の日常を、比較的淡々と切り取った100分弱の作品でした。
ウェブサイトによると、この作品は映画のワークショップの一環として撮影されたもので、出演している子供達はこれが映画になるということを知らなかったのだそうです。映画としての筋の練り込みや人物描写にやや物足りない部分がありながらも、子供達の表情にえも言われぬリアリティーが感じられる背景にはそうした制作環境があるのかもしれません。
映画の細かい内容については、公式サイト(http://stanley-cinema.com/)を見て頂くとして、タイトルが示すように、この映画ではお弁当が大きな役割を果たしています。登場人物の中でも特に強烈なキャラクターとして登場するのが、監督自ら演じる食い意地の塊のような国語教師なのですが、彼はなぜか自分のお弁当を持って来ようとせず、同僚の先生達のお弁当にたかるばかりか、生徒のお弁当にまで手を出します。昼休みになると(他人の)お弁当を求めて学校中をさまよう彼の姿は滑稽を通り越して狂気すら感じさせます。
話は変わりますが、インドのお弁当と言えばもう一つ思い浮かぶのは、ムンバイの「ダッバーワーラー」と呼ばれる弁当集配サービスです。それぞれの家庭から勤め人に「お弁当を運ぶ」作業に、なんと5,000人もの「弁当運び人」が従事し、一日に運ぶ弁当箱の数は17万5,000個。ムンバイを取り囲む四方八方の郊外エリアから、複雑で入り組んだ都心のオフィス街の正しい届け先まで、昼休みに間に合うよう確実にお弁当を届け、しかも、非識字者も多い「運び人」たちが配達先の目印として使うのは住所ではなくアルファベットと数字による記号の組み合わせ、それでいて、配達ミスの発生率は600万個に一つという驚異的な精度と言いますから、まさにインドの神秘を感じるような話で、ビジネスの世界からも関心を集め、ここ数年様々なメディアでも取り上げられています。
確かに、おぉーと思わざるを得ない話なのですが、ふと我に返ると、そもそもなぜ、弁当がこんなにも大きな話になってしまっているのか、という気もします。
日本でもここ最近、弁当男子やキャラ弁などという言葉が流行り、お弁当の魅力を見直すような流れがありますが、なんとなく、インド人が弁当にかける情熱には及ばない気がします。その究極的なイメージが、映画に描かれた国語の先生の姿なのではないでしょうか。
宗教の問題(食事制限がある)や気温の問題(出勤時に自分で持ち運んでは傷んでしまう)、経済的な問題(お弁当の方が安上がり?)など、いろいろな要素はあるかもしれませんが、インド人にとってお弁当はやはり、何か特別なものなのではないか、という想像が頭から離れないこの頃です。
この週末、以前こちらにも書いたインド映画(2013年9月20日 インドin日本の地方都市の話)の一つを劇場に見に行きました。映画のタイトルは「スタンリーのお弁当箱」。一見、インド映画とは思えないタイトルですが、内容もまた然り。一般的にインド映画と聞いて想像する、アクションありお色気あり、世界各地の名所を舞台にしたミュージカルシーン必須の3時間超、といった作品とは対照的な、ムンバイの一つの小学校を舞台に繰り広げられる子供達の日常を、比較的淡々と切り取った100分弱の作品でした。
ウェブサイトによると、この作品は映画のワークショップの一環として撮影されたもので、出演している子供達はこれが映画になるということを知らなかったのだそうです。映画としての筋の練り込みや人物描写にやや物足りない部分がありながらも、子供達の表情にえも言われぬリアリティーが感じられる背景にはそうした制作環境があるのかもしれません。
映画の細かい内容については、公式サイト(http://stanley-cinema.com/)を見て頂くとして、タイトルが示すように、この映画ではお弁当が大きな役割を果たしています。登場人物の中でも特に強烈なキャラクターとして登場するのが、監督自ら演じる食い意地の塊のような国語教師なのですが、彼はなぜか自分のお弁当を持って来ようとせず、同僚の先生達のお弁当にたかるばかりか、生徒のお弁当にまで手を出します。昼休みになると(他人の)お弁当を求めて学校中をさまよう彼の姿は滑稽を通り越して狂気すら感じさせます。
話は変わりますが、インドのお弁当と言えばもう一つ思い浮かぶのは、ムンバイの「ダッバーワーラー」と呼ばれる弁当集配サービスです。それぞれの家庭から勤め人に「お弁当を運ぶ」作業に、なんと5,000人もの「弁当運び人」が従事し、一日に運ぶ弁当箱の数は17万5,000個。ムンバイを取り囲む四方八方の郊外エリアから、複雑で入り組んだ都心のオフィス街の正しい届け先まで、昼休みに間に合うよう確実にお弁当を届け、しかも、非識字者も多い「運び人」たちが配達先の目印として使うのは住所ではなくアルファベットと数字による記号の組み合わせ、それでいて、配達ミスの発生率は600万個に一つという驚異的な精度と言いますから、まさにインドの神秘を感じるような話で、ビジネスの世界からも関心を集め、ここ数年様々なメディアでも取り上げられています。
確かに、おぉーと思わざるを得ない話なのですが、ふと我に返ると、そもそもなぜ、弁当がこんなにも大きな話になってしまっているのか、という気もします。
日本でもここ最近、弁当男子やキャラ弁などという言葉が流行り、お弁当の魅力を見直すような流れがありますが、なんとなく、インド人が弁当にかける情熱には及ばない気がします。その究極的なイメージが、映画に描かれた国語の先生の姿なのではないでしょうか。
宗教の問題(食事制限がある)や気温の問題(出勤時に自分で持ち運んでは傷んでしまう)、経済的な問題(お弁当の方が安上がり?)など、いろいろな要素はあるかもしれませんが、インド人にとってお弁当はやはり、何か特別なものなのではないか、という想像が頭から離れないこの頃です。
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2013-10-04 : 22:34 : admin
さふらんです。すっかり秋めいてきました。コンビニエンスストアには雪のイラストが描かれたビールが並び始め、ホームセンターにはクリスマス用品が並び始めたそうで、そう聞くと、なんだかせかされているような気持ちにもなります。
さて、先日10月2日はガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)の誕生日で、インドでは祝日でした。存命だったら144才ですから、誕生日というより生誕記念日と言ったほうがよいかもしれません。
これまでにご紹介してきているように、誰もが独自の強いアイデンティティーをもち、民族、言語、宗教のいずれにも圧倒的多数派が存在しない多様性の塊のようなインドで、唯一、さすがに誰もがとは言いませんが、しかしおそらく最大公約数のインド人から支持を得ているのがガンディーではないかと私は思います。それは彼が、1920年代の非協力運動(Non Cooperation Movement)、1930年代の不服従運動(Civil Disobedience Movement)、1940年代の「インドから出て行け」運動 (Quit India Movement)と、30年に亘って三度も、庶民を巻き込んだ「大衆運動」を展開し、インドの独立に貢献したこととも関係があるでしょう。
ガンディーについては多くの文献が記されており、半端な知識で語ることははばかられますが、痩せさらばえた体に白い布のような衣服を纏い、丸めがねに木のサンダルを履いたおなじみの姿を見ただけでも、物欲を離れ、ある高みを極めた印象が自然と浮かび、精神性を尊ぶインド人に人気があることも納得できます。
一方、独立運動の展開に際しては土着財閥と手を結ぶなどしたたかな面もあり、また家族など近しい人にとってははた迷惑な性格であったとも言われています。
それでもやはり、インドにおけるガンディーの人気は現在も健在だなあと思うのはインドのお札を見た時です。日本ではお札の金額によって描かれている人が違いますが、インドではどの金額のお札にもおしなべてガンディーの肖像が描かれています。お札の顔として誰を選んでも必ずどこかから異論が出そうなインドにおいて、おそらく一番無難にお札に収まることが出来るということが、ガンディーの偉大さでしょう。
参照ウェブサイト:
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahatma_Gandhi_Series_(banknotes)
そしてもう一つ、ガンディーの肖像が描かれているものがあります。それは1ルピー切手です。個人的には、多くの庶民が日常的に手にする1ルピー切手にガンディーの絵が描かれていることの方に、感銘を受けます。
余談ですが、ガンディーの誕生日を覚えているのは、インドの農村地方の産品を中心に扱う政府系物産店が、この日を記念してセールを行うからです。ガンディーは貧しいインドの農村の経済的自立のため、農村地方における小規模産業の振興を訴えたことでも知られていますが、全国に展開しているこの物産店では彼がその普及を推奨した手紡ぎ綿の商品も多く販売されています。ここ数年はパッケージもかなり洗練されてきて、お土産を買うにももってこいです。この時期インドにお出かけになる方にオススメします。
さて、先日10月2日はガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)の誕生日で、インドでは祝日でした。存命だったら144才ですから、誕生日というより生誕記念日と言ったほうがよいかもしれません。
これまでにご紹介してきているように、誰もが独自の強いアイデンティティーをもち、民族、言語、宗教のいずれにも圧倒的多数派が存在しない多様性の塊のようなインドで、唯一、さすがに誰もがとは言いませんが、しかしおそらく最大公約数のインド人から支持を得ているのがガンディーではないかと私は思います。それは彼が、1920年代の非協力運動(Non Cooperation Movement)、1930年代の不服従運動(Civil Disobedience Movement)、1940年代の「インドから出て行け」運動 (Quit India Movement)と、30年に亘って三度も、庶民を巻き込んだ「大衆運動」を展開し、インドの独立に貢献したこととも関係があるでしょう。
ガンディーについては多くの文献が記されており、半端な知識で語ることははばかられますが、痩せさらばえた体に白い布のような衣服を纏い、丸めがねに木のサンダルを履いたおなじみの姿を見ただけでも、物欲を離れ、ある高みを極めた印象が自然と浮かび、精神性を尊ぶインド人に人気があることも納得できます。
一方、独立運動の展開に際しては土着財閥と手を結ぶなどしたたかな面もあり、また家族など近しい人にとってははた迷惑な性格であったとも言われています。
それでもやはり、インドにおけるガンディーの人気は現在も健在だなあと思うのはインドのお札を見た時です。日本ではお札の金額によって描かれている人が違いますが、インドではどの金額のお札にもおしなべてガンディーの肖像が描かれています。お札の顔として誰を選んでも必ずどこかから異論が出そうなインドにおいて、おそらく一番無難にお札に収まることが出来るということが、ガンディーの偉大さでしょう。
参照ウェブサイト:
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahatma_Gandhi_Series_(banknotes)
そしてもう一つ、ガンディーの肖像が描かれているものがあります。それは1ルピー切手です。個人的には、多くの庶民が日常的に手にする1ルピー切手にガンディーの絵が描かれていることの方に、感銘を受けます。
余談ですが、ガンディーの誕生日を覚えているのは、インドの農村地方の産品を中心に扱う政府系物産店が、この日を記念してセールを行うからです。ガンディーは貧しいインドの農村の経済的自立のため、農村地方における小規模産業の振興を訴えたことでも知られていますが、全国に展開しているこの物産店では彼がその普及を推奨した手紡ぎ綿の商品も多く販売されています。ここ数年はパッケージもかなり洗練されてきて、お土産を買うにももってこいです。この時期インドにお出かけになる方にオススメします。
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2013-06-21 : 21:50 : admin
こんにちは、さふらんです。
遂に北陸にも本格的な梅雨がやってきました。雨は時に憂鬱ですが、一部では水不足も懸念されはじめていましたから、やはり恵みの雨です。
さて前回(2013年6月7日)は、熱帯の緑豊かなケーララ州の村の自然について書きました。今日はそんな村で出会った動物達を紹介してみます。
こちらはあるお宅で買われていた牛です。インドでは都市にも普通に野良牛がいますが、あばらが浮き出、疲れきった表情をしている彼らと比べ、田舎で飼われている牛は心なしかのんびり穏やかな表情をしているように感じられました。
こちらは子牛。つむじがなんともいえません。
こちらはうさぎです。何羽かいましたが、これはお腹を地面に当てて腹這いになったまま動きません。お宅の奥さん曰く、妊娠中なのよ、と。足の模様が靴下をはいているようです。
日本のペットの王道、犬もいました。犬小屋のしつらえは随分違います。鉄格子は少し厳つい感じがしますが、屋根に咲いている黄色い花はお洒落です。
そして、厳密には村の動物ではありませんが、こちらは町の寺付きの象です。
公園のようになっている寺の敷地の木に繋がれていました。世話人は見当たりませんでしたが、暴れることもなくおとなしくしています(耳に挟んでいる白い棒を地面に落としてはいけない、と訓練されているそうです)。こういった光景は日常なのでしょう。人々は至って平然と至近距離を通り過ぎていきます。
年に一度、100頭近くもの象が集まる象祭りの舞台でもあるこのお寺には、寺付きの象が11頭いるそうです。そのうち5頭はこの時、地方のお寺に「出張中」でした。
ケーララ州では、象は特別な動物だと言われます。友人が、「その証拠にほら、あそこに象の救急車が停まっているでしょう」と指差すので、なかなかおもしろい冗談を言うな、と思ったら本当でした。
何度行ってもインドには驚かされます。
遂に北陸にも本格的な梅雨がやってきました。雨は時に憂鬱ですが、一部では水不足も懸念されはじめていましたから、やはり恵みの雨です。
さて前回(2013年6月7日)は、熱帯の緑豊かなケーララ州の村の自然について書きました。今日はそんな村で出会った動物達を紹介してみます。
こちらはあるお宅で買われていた牛です。インドでは都市にも普通に野良牛がいますが、あばらが浮き出、疲れきった表情をしている彼らと比べ、田舎で飼われている牛は心なしかのんびり穏やかな表情をしているように感じられました。

こちらは子牛。つむじがなんともいえません。

こちらはうさぎです。何羽かいましたが、これはお腹を地面に当てて腹這いになったまま動きません。お宅の奥さん曰く、妊娠中なのよ、と。足の模様が靴下をはいているようです。
日本のペットの王道、犬もいました。犬小屋のしつらえは随分違います。鉄格子は少し厳つい感じがしますが、屋根に咲いている黄色い花はお洒落です。

そして、厳密には村の動物ではありませんが、こちらは町の寺付きの象です。

年に一度、100頭近くもの象が集まる象祭りの舞台でもあるこのお寺には、寺付きの象が11頭いるそうです。そのうち5頭はこの時、地方のお寺に「出張中」でした。
ケーララ州では、象は特別な動物だと言われます。友人が、「その証拠にほら、あそこに象の救急車が停まっているでしょう」と指差すので、なかなかおもしろい冗談を言うな、と思ったら本当でした。

何度行ってもインドには驚かされます。
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2013-06-07 : 19:33 : admin
こんにちは、さふらんです。
こちらはまだ梅雨入りしていないのか、さわやかな季節が続いています。
日本の新緑も本当に気持ちのいいものですが、今日はケーララ州の村の自然について書いてみます。
前回(2013年5月24日)は、商業化が進む村の一面について書きましたが、やはり、村は町とは違うのだなあと思わされるのが、その圧倒的な自然に身を置いた時です。私も田舎の出身ですが、インドの、しかも南国ケーララの自然は、日本人にとっては圧倒されてしまうレベルと言っても過言ではありません。
こちらは緑にあふれる知人の庭。空を見上げると、バナナの葉やヤシの葉などが幾重にも重なって目の前は緑一色です。
ふと、知人の息子が細い棒をひろって何かし始めました。
カシューナッツだよ、と採ってくれたのがこれ。なんと、カシューナッツが庭になっています。大きな実の上のこの小さな部分が、あのナッツになるのかと思うと、値段の高さにも合点がいきました。なお、下の実?の部分も食べることができます。カシューナッツとは全然違う、南国果実の味がします。
村にはこのように舗装されていない道も多くあります。樹々が落とす影が日差しを和らげてくれます。
最後に、ビーチの風景の写真をお届けして終わりにします。次回はお待ちかね、村の動物達についてです!
続き▽
こちらはまだ梅雨入りしていないのか、さわやかな季節が続いています。
日本の新緑も本当に気持ちのいいものですが、今日はケーララ州の村の自然について書いてみます。
前回(2013年5月24日)は、商業化が進む村の一面について書きましたが、やはり、村は町とは違うのだなあと思わされるのが、その圧倒的な自然に身を置いた時です。私も田舎の出身ですが、インドの、しかも南国ケーララの自然は、日本人にとっては圧倒されてしまうレベルと言っても過言ではありません。
こちらは緑にあふれる知人の庭。空を見上げると、バナナの葉やヤシの葉などが幾重にも重なって目の前は緑一色です。

ふと、知人の息子が細い棒をひろって何かし始めました。


村にはこのように舗装されていない道も多くあります。樹々が落とす影が日差しを和らげてくれます。

最後に、ビーチの風景の写真をお届けして終わりにします。次回はお待ちかね、村の動物達についてです!

続き▽
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2013-05-24 : 22:04 : admin
さふらんです。先日久しぶりに近所の川沿いを散歩して、新緑の季節を満喫しました。という訳で、5月も終わりに近づいてきていますが、3月に逗留したインドの話を、もう少し続けてみたいと思います。
前回(2013年4月19日)は、貯水池(!)にまで溢れる商業看板など、消費州としてのケララ州についてご紹介しました。今日はその続き、予想以上に豊かな村の暮らしを写真で振り返ってみます。
まずはこちらの豪邸写真から。
もちろん、村の家のすべてがこのような豪邸であるわけではないですが、それでも ちらほらとこういったたたずまいの邸宅を見かけました。案内してくれた友人の話では、「中東への出稼ぎの成功者の家だ」とのこと。なお、前回このブログでその開店について紹介したショッピングモールのオーナーも、偶然この村の出身とのことで、残念ながら見ることはできませんでしたが、彼の豪邸も少し離れた場所にあるとのことでした。
こちらは、上の写真のような豪邸という訳ではありませんでしたが、こぢんまりとしていながらも整えられた庭が美しいおうちの、中に入って驚きました。
冷蔵庫、ガスコンロ、オーブンと、どれもピカピカのシステムキッチン一式が揃っています。都会でもなかなか見ることのない、清潔で近代的なキッチンです。
おまけで、このお宅の表玄関のドアノブ。どこの高級ホテルかという雰囲気。
そしてこちらは村のスーパーマーケットです。
私が住んでいたチェンナイ(一応、インド四大都市の一つですが…)のスーパーより、はるかに品揃えがよかったのが印象的でした。本当に、ケララにはモノが集まっているんだなあ、と実感しました。そして何より、インドにしては商品がかぶっているほこりの量が少ない!
そのことにも、商品管理意識の違いと、活発な流通を垣間みる思いでした。モノがあるだけではなく、実際に売れてもいることが伺えます。
さて、こうやって見てみると、ケララ州では、少なくとも町から車で1時間程の村においては、もうほとんど都市と変わらない生活が営まれているという印象を受けます。しかしそれでも、やはり自然は変わらず豊かでした。次回は村の自然について書きます。
前回(2013年4月19日)は、貯水池(!)にまで溢れる商業看板など、消費州としてのケララ州についてご紹介しました。今日はその続き、予想以上に豊かな村の暮らしを写真で振り返ってみます。
まずはこちらの豪邸写真から。


こちらは、上の写真のような豪邸という訳ではありませんでしたが、こぢんまりとしていながらも整えられた庭が美しいおうちの、中に入って驚きました。

おまけで、このお宅の表玄関のドアノブ。どこの高級ホテルかという雰囲気。

そしてこちらは村のスーパーマーケットです。


さて、こうやって見てみると、ケララ州では、少なくとも町から車で1時間程の村においては、もうほとんど都市と変わらない生活が営まれているという印象を受けます。しかしそれでも、やはり自然は変わらず豊かでした。次回は村の自然について書きます。
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2013-04-19 : 21:50 : admin
さふらんです。近所の川沿いの桜並木もすっかり葉桜になりました。隔週お届けしている2013年のインドシリーズ、今回は、私が訪れたケララ州の一側面について書いてみたいと思います。
ケララ州はインド亜大陸の西南端に位置する州です。人口約3,300万人、面積は38,863㎢とインドの中では比較的小さい州ですが、高い識字率(2011年国勢調査で94%、なお全国平均は74%)などに代表される社会開発指数の高さや、観光資源の豊かさで有名な州です。
ケララ州のもう一つの特徴は、海外、特に中東諸国に出稼ぎ労働者を多く送り出していることです。そして彼らからの送金は同州の経済において大きな存在感を見せています。天然資源には恵まれているものの、州内に目立って大きな産業のないケララ州で消費文化が成熟しているのはそのためです。今年度の州予算発表の際、農業生産が下がり、失業率が上がっている一方、経済成長率と海外送金は上がっている、というデータが示されていましたが、このことはまさにケララ州の現状を表していると思います。私自身、ケララ州に滞在した1週間に何度かそのことを実感しました。
まず空港についてすぐに目につくのは道路沿いに立ち並ぶ巨大な商業看板です。
これらの商業看板は、貯水池の中にまで!建っていました。
海沿いに立ち並ぶ高層マンションの姿はインドにいることを忘れさせます。
そしてこちらは、ちょうど滞在期間中に開店した「南インド最大」を謳い文句にする大型ショッピングモールの新聞広告。オーナーは中東で成功したケララ州出身の資本家です。オープニングには州首相や州野党代表も駆けつけました。二大政党が交互に政権を取っている同州で、これはこのショッピングモールの開店が州を挙げて歓迎されていることを示しています。
ケララ州の物質的豊かさは農村部でも感じました。むしろ、より顕著に感じたと言ってもいいかもしれません。次回はそのことについて書いてみたいと思います。
ケララ州はインド亜大陸の西南端に位置する州です。人口約3,300万人、面積は38,863㎢とインドの中では比較的小さい州ですが、高い識字率(2011年国勢調査で94%、なお全国平均は74%)などに代表される社会開発指数の高さや、観光資源の豊かさで有名な州です。
ケララ州のもう一つの特徴は、海外、特に中東諸国に出稼ぎ労働者を多く送り出していることです。そして彼らからの送金は同州の経済において大きな存在感を見せています。天然資源には恵まれているものの、州内に目立って大きな産業のないケララ州で消費文化が成熟しているのはそのためです。今年度の州予算発表の際、農業生産が下がり、失業率が上がっている一方、経済成長率と海外送金は上がっている、というデータが示されていましたが、このことはまさにケララ州の現状を表していると思います。私自身、ケララ州に滞在した1週間に何度かそのことを実感しました。
まず空港についてすぐに目につくのは道路沿いに立ち並ぶ巨大な商業看板です。

これらの商業看板は、貯水池の中にまで!建っていました。

海沿いに立ち並ぶ高層マンションの姿はインドにいることを忘れさせます。

そしてこちらは、ちょうど滞在期間中に開店した「南インド最大」を謳い文句にする大型ショッピングモールの新聞広告。オーナーは中東で成功したケララ州出身の資本家です。オープニングには州首相や州野党代表も駆けつけました。二大政党が交互に政権を取っている同州で、これはこのショッピングモールの開店が州を挙げて歓迎されていることを示しています。

ケララ州の物質的豊かさは農村部でも感じました。むしろ、より顕著に感じたと言ってもいいかもしれません。次回はそのことについて書いてみたいと思います。
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2013-04-05 : 15:21 : admin
さふらんです。昨日の投稿でくーさんが桜並木の写真を載せていらっしゃいましたが、北陸でもようやく桜が咲き始めました。
今年は太平洋側との開花時差が例年より短いと専らの噂です。
さて、前回(3月22日)はインドのLCCについて書きました。今回は少しその前に戻り、デリー空港での一晩について書きたいと思います。
2012年10月からANAが成田—デリー直行便の運行を開始しました。今回はこの便を使ったのですが、デリーに着くのは夜遅く。次の日の始発便でケーララに向かうこともあり、今回は空港の中で夜を明かすことにしました。
デリーの空港には、以前こちらのブログでも何回かにわたって特集したインディラ・ガンディーの名前が冠されています(Indira Gandhi International Airport)。数年前にリニューアルされ、大変モダンで、お洒落な空港に生まれ変わりました。
まず、国際線ターミナルから国内線ターミナルへの移動です。乗ってきた国際線の半券とこれから乗る国内線のE-ticketを見せると、ターミナル間バスの無料券をもらうことができました。専用のバスもあるそうなのですが、私が乗ったのは一般の市バスです。
さっそく乗り込んだはいいものの、なかなか出発しません。先に乗っていた乗客の若い青年が、いかにも退屈しのぎといった体で話しかけてきました。彼は空港で貨物取り扱いの仕事をしており、出身はインド北部のウッタラカンド州。「とても自然の美しい場所なんだ」と、携帯電話にある故郷の風景や家族の写真を何枚も見せてくれました。他の兄弟もムンバイなどの都会に出稼ぎに出ているそうです。デリーに来てまだそれほど経っていないようで、こちらで友達はできたのだろうかとか、食事はどうしているのだろうとか、家族のような心配をしてしまいましたが、本人は慣れない都会暮らしにも不規則な勤務時間にも不満を持つことなく、終始明るい笑顔を見せていました。仕事帰りのバスの中で外国人と話を交わしたことが、彼の生活の中でちょっとしたスパイスになってくれるといいと思いました。
国内線ターミナルは既に営業を終えていたものの、チケットを持っていれば建物の中に入れてもらうことができました。全体的に照明は落としてありますが、コーヒースタンド等は営業しているようです。灯りを求めるかのように近くのベンチに始発便を待つ乗客達が集まっています。静まり返った夜の空港にいるのはなんだか不思議な気分です。暗闇に浮かぶコーヒースタンドの灯りを見ながら、私もうとうとしていました。
2時過ぎ、空港の警備員が、航空会社のカウンターが開いたことを知らせにきてくれました。と言ってもフライト時間まではまだまだあるのですが、セキュリティーの向こうにはより快適な椅子もあり、ありがたいことです。チェックインした後はバックパックを枕に爆睡しました。なんだか初めてインドに来た時のような気持ちになりました。

さて、前回(3月22日)はインドのLCCについて書きました。今回は少しその前に戻り、デリー空港での一晩について書きたいと思います。
2012年10月からANAが成田—デリー直行便の運行を開始しました。今回はこの便を使ったのですが、デリーに着くのは夜遅く。次の日の始発便でケーララに向かうこともあり、今回は空港の中で夜を明かすことにしました。
デリーの空港には、以前こちらのブログでも何回かにわたって特集したインディラ・ガンディーの名前が冠されています(Indira Gandhi International Airport)。数年前にリニューアルされ、大変モダンで、お洒落な空港に生まれ変わりました。
まず、国際線ターミナルから国内線ターミナルへの移動です。乗ってきた国際線の半券とこれから乗る国内線のE-ticketを見せると、ターミナル間バスの無料券をもらうことができました。専用のバスもあるそうなのですが、私が乗ったのは一般の市バスです。
さっそく乗り込んだはいいものの、なかなか出発しません。先に乗っていた乗客の若い青年が、いかにも退屈しのぎといった体で話しかけてきました。彼は空港で貨物取り扱いの仕事をしており、出身はインド北部のウッタラカンド州。「とても自然の美しい場所なんだ」と、携帯電話にある故郷の風景や家族の写真を何枚も見せてくれました。他の兄弟もムンバイなどの都会に出稼ぎに出ているそうです。デリーに来てまだそれほど経っていないようで、こちらで友達はできたのだろうかとか、食事はどうしているのだろうとか、家族のような心配をしてしまいましたが、本人は慣れない都会暮らしにも不規則な勤務時間にも不満を持つことなく、終始明るい笑顔を見せていました。仕事帰りのバスの中で外国人と話を交わしたことが、彼の生活の中でちょっとしたスパイスになってくれるといいと思いました。
国内線ターミナルは既に営業を終えていたものの、チケットを持っていれば建物の中に入れてもらうことができました。全体的に照明は落としてありますが、コーヒースタンド等は営業しているようです。灯りを求めるかのように近くのベンチに始発便を待つ乗客達が集まっています。静まり返った夜の空港にいるのはなんだか不思議な気分です。暗闇に浮かぶコーヒースタンドの灯りを見ながら、私もうとうとしていました。

2時過ぎ、空港の警備員が、航空会社のカウンターが開いたことを知らせにきてくれました。と言ってもフライト時間まではまだまだあるのですが、セキュリティーの向こうにはより快適な椅子もあり、ありがたいことです。チェックインした後はバックパックを枕に爆睡しました。なんだか初めてインドに来た時のような気持ちになりました。
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2013-03-22 : 21:43 : admin
こんにちは。さふらんです。おととい、約10日間のインド旅行から帰ってきました。向こうでは夏バテになっていたのに、もどってみるとこちらでは雪が舞っていたり、今さらながら彼我の気候のギャップに驚いています。
今日から何回かに分けて、今回の旅の記録をお伝えしたいと思います。まず一回目の今日は、国内移動で使ったインドのLCC(Low Cost Carrier)について。
それまで国営企業に独占されていた航空業界への民間参入が認められてから、インドの空は随分賑やかになりました。奇しくも今年は航空業界自由化から20年目の節目にあたります。
以前、鉄道についての記事(2011年7月1日)でも書きましたが、航空業界自由化前、インド国内の長距離移動手段はもっぱら鉄道に限られていました。もちろん、広大な国土を持つインドのことなので、鉄道での移動には時に数十時間もの、気が遠くなるほどの時間がかかります(例えば、二大都市であるデリー=ムンバイ間は片道16時間)。それでも人々は鉄道を使いました。それほど、飛行機と鉄道の料金差は大きかったのです。
航空業界の自由化により、民間航空会社が次々と設立、参入していく中で、航空運賃も随分お手ごろになりました。中でも今回、私が利用したIndiGo AirはいわゆるLCCで、座席も狭く、飲食は有料、とサービスに多くは望めないものの、料金の安さではピカ一です(なお、不思議なことに遅延の多いインドの航空界にあって、比較的時間通りの運行がのぞめるとのことでビジネス利用のサラリーマンには人気が高いという話も聞きました)。
早速乗り込み、機内紙Hello 6E(6Eは同社の航空コード)に目を通します。まず目に飛び込んでくる表紙には、きりっとした美人のインド人女性が制服に身を包み腕を組んで立っています。
中の記事を読んでいくと、彼女は22歳の女性パイロット。既に2,000時間のフライト経験があるそうです。こういった場面で女性の進出を知ること一つとっても、インドの変化を感じます。
もう一つ面白かったのはIndiGoの広告。インドが「世界最大の民主主義国家」を自負していることを受けてのことでしょう、(IndiGoは)「インドで最も民主的な航空会社です」とのコピーには思わずニヤリとしてしまいました。
こう言われると、全席エコノミークラスのLCCもなかなかよいものに思えてきます。
今日から何回かに分けて、今回の旅の記録をお伝えしたいと思います。まず一回目の今日は、国内移動で使ったインドのLCC(Low Cost Carrier)について。
それまで国営企業に独占されていた航空業界への民間参入が認められてから、インドの空は随分賑やかになりました。奇しくも今年は航空業界自由化から20年目の節目にあたります。
以前、鉄道についての記事(2011年7月1日)でも書きましたが、航空業界自由化前、インド国内の長距離移動手段はもっぱら鉄道に限られていました。もちろん、広大な国土を持つインドのことなので、鉄道での移動には時に数十時間もの、気が遠くなるほどの時間がかかります(例えば、二大都市であるデリー=ムンバイ間は片道16時間)。それでも人々は鉄道を使いました。それほど、飛行機と鉄道の料金差は大きかったのです。
航空業界の自由化により、民間航空会社が次々と設立、参入していく中で、航空運賃も随分お手ごろになりました。中でも今回、私が利用したIndiGo AirはいわゆるLCCで、座席も狭く、飲食は有料、とサービスに多くは望めないものの、料金の安さではピカ一です(なお、不思議なことに遅延の多いインドの航空界にあって、比較的時間通りの運行がのぞめるとのことでビジネス利用のサラリーマンには人気が高いという話も聞きました)。

早速乗り込み、機内紙Hello 6E(6Eは同社の航空コード)に目を通します。まず目に飛び込んでくる表紙には、きりっとした美人のインド人女性が制服に身を包み腕を組んで立っています。

中の記事を読んでいくと、彼女は22歳の女性パイロット。既に2,000時間のフライト経験があるそうです。こういった場面で女性の進出を知ること一つとっても、インドの変化を感じます。

もう一つ面白かったのはIndiGoの広告。インドが「世界最大の民主主義国家」を自負していることを受けてのことでしょう、(IndiGoは)「インドで最も民主的な航空会社です」とのコピーには思わずニヤリとしてしまいました。

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2013-03-08 : 19:28 : admin
さふらんです。
今から8年前の2005年のこと、インドはケララ州のある村に調査に出かけました。首都デリーからいくつかの町を経由してケララ州の商都コーチンへ、そこから電車でトリシュールという町に向かい、さらにバスに乗り換えて海を目指すとその村はあります。
村唯一の舗装道路である州道が村の中心で、道沿いに村役場や食堂、雑貨屋などが並び、そこから葉脈のようにのびる未舗装の道を歩いていくと、うっそうと茂る椰子の森の中に集落が見え隠れし、緑が少し薄くなって明るくなったと思うと目の前に海が広がる、のどかな風情の村です。
8年前は地元の学生に通訳を頼み、村人たちへのインタビューを行いました。村にホテルはなかったので、トリシュールから毎日村役場に通い、村を回り、調査票をもって村人たちに質問をして回りました。つてを辿って村に行き着いたはいいものの、気がつけば帰国日も迫り、私は焦っていました。
通訳を引き受けてくれた学生は控えめでまじめな性格の好青年だったのですが、通訳としての技術には問題があるように思えました。Why....? で始まる質問にYes! と答えられたときはガックリきたものです。
そんなある日、彼が村人とずいぶん長く話しているのに、訳される答えがとても短いことが気になり始めました。村人の答えを勝手に省略して不正確に伝えているのではないか、という疑念が湧いてきたのです。その旨を伝えてみると、調査とは関係のない話をしていた、と言われ、私は思わず、時間がないのに無駄話などしないでほしい、とやや強い口調で言ってしまいました。
その時、彼に言われたことが今でも心に残っています。私たちがそのとき話を聞いていたのは、村の中でも比較的貧しい暮らしをしている漁師の一人でした。彼の生活について話をしていくうちに、漁師は日頃の生活の苦しさ、厳しさを通訳の青年に訴え始めたというのです。話を聞いてあげるべきだと思った。と彼は言いました。
私もそれを聞いてハッとしました。確かにそういった話は、質問表には入っていないことでしたが、調査という名目で村に入り、彼らの生活について自分が欲しい情報だけを聞き出すだけ聞き出して、彼らが語りたいことには耳を傾けないとは、なんと身勝手なことだろうと気づいたのです。通訳の彼の人間らしさに救われたような気がしました。
なぜ突然8年前のことを思い出したかというと、今、その同じ村に向かっているからです。通訳をしてくれた彼とはその後 疎遠になってしまい、今回は連絡がつきませんでした。Google Map で見ると、村の様子もずいぶん変わったようです。次回はちょうど帰国後になります。今度はこの旅で感じたことを、ご報告したいと思います。
今から8年前の2005年のこと、インドはケララ州のある村に調査に出かけました。首都デリーからいくつかの町を経由してケララ州の商都コーチンへ、そこから電車でトリシュールという町に向かい、さらにバスに乗り換えて海を目指すとその村はあります。
村唯一の舗装道路である州道が村の中心で、道沿いに村役場や食堂、雑貨屋などが並び、そこから葉脈のようにのびる未舗装の道を歩いていくと、うっそうと茂る椰子の森の中に集落が見え隠れし、緑が少し薄くなって明るくなったと思うと目の前に海が広がる、のどかな風情の村です。
8年前は地元の学生に通訳を頼み、村人たちへのインタビューを行いました。村にホテルはなかったので、トリシュールから毎日村役場に通い、村を回り、調査票をもって村人たちに質問をして回りました。つてを辿って村に行き着いたはいいものの、気がつけば帰国日も迫り、私は焦っていました。
通訳を引き受けてくれた学生は控えめでまじめな性格の好青年だったのですが、通訳としての技術には問題があるように思えました。Why....? で始まる質問にYes! と答えられたときはガックリきたものです。
そんなある日、彼が村人とずいぶん長く話しているのに、訳される答えがとても短いことが気になり始めました。村人の答えを勝手に省略して不正確に伝えているのではないか、という疑念が湧いてきたのです。その旨を伝えてみると、調査とは関係のない話をしていた、と言われ、私は思わず、時間がないのに無駄話などしないでほしい、とやや強い口調で言ってしまいました。
その時、彼に言われたことが今でも心に残っています。私たちがそのとき話を聞いていたのは、村の中でも比較的貧しい暮らしをしている漁師の一人でした。彼の生活について話をしていくうちに、漁師は日頃の生活の苦しさ、厳しさを通訳の青年に訴え始めたというのです。話を聞いてあげるべきだと思った。と彼は言いました。
私もそれを聞いてハッとしました。確かにそういった話は、質問表には入っていないことでしたが、調査という名目で村に入り、彼らの生活について自分が欲しい情報だけを聞き出すだけ聞き出して、彼らが語りたいことには耳を傾けないとは、なんと身勝手なことだろうと気づいたのです。通訳の彼の人間らしさに救われたような気がしました。
なぜ突然8年前のことを思い出したかというと、今、その同じ村に向かっているからです。通訳をしてくれた彼とはその後 疎遠になってしまい、今回は連絡がつきませんでした。Google Map で見ると、村の様子もずいぶん変わったようです。次回はちょうど帰国後になります。今度はこの旅で感じたことを、ご報告したいと思います。
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