2015-06-16 : 19:43 : admin
こんにちは、ドイツ語担当のイコです。東京も入梅して蒸し暑い毎日が続いています。雨季が終わったら今度は耐え難いほど暑い日本の夏が到来します。地震や台風の際もそうですが、夏季になるとドイツの住みやすさを懐かしく思うことがしばしばあります。
ドイツの一般的な家にはエアコンが設置されていないのです。本来、夏でも涼しいからです。北海道とミュンヘンが同じ緯度にあることは比較的知られている話かと思いますが、ミュンヘンはドイツでも南部の都市で、ドイツは日本より北にあるのです(日本本土がおよそ北緯30度~北緯45度内におさまるのに対しドイツは北緯48度~北緯55度と全くかぶりません)。
最近では地球温暖化の影響なのか、ヨーロッパ全体が猛暑に苛まれることが増えてきていますが、子供のころ、我が家には扇風機さえありませんでした。暑い日で気温が30度を超えても、日本と違って湿気が少ないので、さほど暑く感じません。家は石造りで断熱効果がありますので中へ入れば肌寒いくらいです。
私の子供のころは、学校の教室にもクーラーが付いていなかったので、あまりに暑いと集中力が低下するということで学校が休みになりました。私が住んでいたラインラント・プファルツ州では朝10時に日陰で測った気温が25度を超えたら4時間目から学校が休みになりました。それをHitzefrei (暑さ 休み) と言いました。
子供たちは「今日は暑いから、もしかして…」と期待を募らせながら時計の針を見つめて11時になるのを待っています。Hitzefreiのベルがなると一斉に荷物をまとめて、下校します。町中がアイスクリーム屋さんを目指してぞろぞろ歩いている学生たちとその笑い声であふれます。中々、いい光景です。
ちなみにドイツ人は自国の涼しさが不満で、昔から南フランスやスペイン・イタリアなど暑い国へバカンスで避寒しています。
ドイツの一般的な家にはエアコンが設置されていないのです。本来、夏でも涼しいからです。北海道とミュンヘンが同じ緯度にあることは比較的知られている話かと思いますが、ミュンヘンはドイツでも南部の都市で、ドイツは日本より北にあるのです(日本本土がおよそ北緯30度~北緯45度内におさまるのに対しドイツは北緯48度~北緯55度と全くかぶりません)。
最近では地球温暖化の影響なのか、ヨーロッパ全体が猛暑に苛まれることが増えてきていますが、子供のころ、我が家には扇風機さえありませんでした。暑い日で気温が30度を超えても、日本と違って湿気が少ないので、さほど暑く感じません。家は石造りで断熱効果がありますので中へ入れば肌寒いくらいです。
私の子供のころは、学校の教室にもクーラーが付いていなかったので、あまりに暑いと集中力が低下するということで学校が休みになりました。私が住んでいたラインラント・プファルツ州では朝10時に日陰で測った気温が25度を超えたら4時間目から学校が休みになりました。それをHitzefrei (暑さ 休み) と言いました。
子供たちは「今日は暑いから、もしかして…」と期待を募らせながら時計の針を見つめて11時になるのを待っています。Hitzefreiのベルがなると一斉に荷物をまとめて、下校します。町中がアイスクリーム屋さんを目指してぞろぞろ歩いている学生たちとその笑い声であふれます。中々、いい光景です。
ちなみにドイツ人は自国の涼しさが不満で、昔から南フランスやスペイン・イタリアなど暑い国へバカンスで避寒しています。
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2015-05-19 : 23:37 : admin
こんにちは、イコです。
娘が1歳半前後から「自我の芽生え」サインが出始めた時、母親の私は「きたぞ、イヤイヤ期」と構えました。文献でも育児のプロの話でもイヤイヤ期は非常に喜ばしいものとされていますし、実際に児童館で「最近イヤイヤが始まったみたいで服を着てくれないんですよ」と不平を漏らし、助言を求めたら、保育アドバイザーが目を輝かせて「Kちゃん、自分の意思をしっかり持っているわね。偉い偉い」と子供のことを褒めるのです。めでたし、めでたし。
そう。イヤイヤ期に入ると、子供は自分に「意思」があることに気づきます。あいにく、その意思が周囲の意思とは必ずしも一致しているわけではないのです。そして、言語能力がまだ発達途上であるため、自分の意思を言葉で表現することがまだ(部分的にしか)できません。例えば親が上着を着せようとしているとします。しかし、子供は自分で上着を着たいのです。すると、「お母さん、上着を自分で着たいの」と言えないから、ひっくり返って大声で「自分でぇ」と叫び、かんしゃくを起こします。赤い靴ではなく青い靴を履きたかった時は、「あおぉ」と精一杯抵抗します。
そこで親が①子供の意思を理解できなかったり、②子供の意思を無視したり、③実は要求に応じようとしているけれど子供が早合点で「やらせてくれない」と判断してしまったりすると、もう大変なことになります。うちのKのイヤイヤデビューは育児本に出てくる典型的なシーンでした:アイスクリーム・パーラーの前の路上で号泣。②、子供の意思(アイスクリームが食べたい)を理解しながらも、(チョコレートコーティングだったので)無視しておせんべいでごまかそうとしていました。すごい勢いで泣きだすので「いいか、汚れた服は洗えばいい」と諦めた時は既に遅く、①「アイスクリーム、あげるから」という言葉は、泣き叫んで理性を失っている娘にもう③通じないのです。
ところで、イヤイヤ期では自分の意思と同時に「自分でやりたい」願望も現れます。これがまた厄介です。1歳では自分で靴など履けるはずがありませんから。一人でジュースを溢さずに注ぐこともできません。でも何もかも自分で、一人で、やりたがるのです。そして、やらせてもらえないと怒るのです。そして、やらせてもらって一人でできないとわかると、やはり怒るのです。
英語ではThe Terrible Twosという言い方をしますが、その名の通り2歳児を中心にこの現象が起こります。Kちゃんのイヤイヤ期も2歳の誕生日前後でピークを迎えました。当初の(ものすごく食べたかったであろう)アイスクリームと違って、今度は(端から見ればどうでもいい)生活習慣のすべてに及び始めます。歯磨き・着替え・オムツの交換など、子供は一日の中で機会さえあれば意見を表出します。言うまでもなくそれはすべてこちらの意思とは反対です。「えっ?これで」とビックリするくらい些細なきっかけで、すごいかんしゃくを起こしてくれます。
しかし、親はそれに怒ってはいけないんですって。子供の意思を尊重しないといけないんですって。子育て本にもそう書いてあるし、保育士もそう言っています。親はあくまでも落ち着いた声で「そうだったんだね。ピンクの靴下を履きたかったのね。それも、自分で履きたかったんだね」と子供の意思をひたすら理解するべきです。忙しいから、要求が理不尽だから、不可能だからなどの理由で断ってはいけません。肯定。とにかく子供に意思があって、子供がその意思を伝えようとしていることを喜ぶのです。やれやれ。
Kちゃんは今2歳4ヶ月になり、言葉の数が急速に増えてきています。自分の意思は相変わらず強い上、親のそれと異なるケースが多いのですが、やっと表現できるようになりました。好きではない(らしい)ズボンを履かせようとしたら「やだ」と大いに嫌がります。でも今では「だいだい色のズボンがいい」と言ったり、違うズボンを持ってきたりします。3歳になると今度は第一反抗期が待っているらしいです。
育児現場(戦場)からでした。
娘が1歳半前後から「自我の芽生え」サインが出始めた時、母親の私は「きたぞ、イヤイヤ期」と構えました。文献でも育児のプロの話でもイヤイヤ期は非常に喜ばしいものとされていますし、実際に児童館で「最近イヤイヤが始まったみたいで服を着てくれないんですよ」と不平を漏らし、助言を求めたら、保育アドバイザーが目を輝かせて「Kちゃん、自分の意思をしっかり持っているわね。偉い偉い」と子供のことを褒めるのです。めでたし、めでたし。
そう。イヤイヤ期に入ると、子供は自分に「意思」があることに気づきます。あいにく、その意思が周囲の意思とは必ずしも一致しているわけではないのです。そして、言語能力がまだ発達途上であるため、自分の意思を言葉で表現することがまだ(部分的にしか)できません。例えば親が上着を着せようとしているとします。しかし、子供は自分で上着を着たいのです。すると、「お母さん、上着を自分で着たいの」と言えないから、ひっくり返って大声で「自分でぇ」と叫び、かんしゃくを起こします。赤い靴ではなく青い靴を履きたかった時は、「あおぉ」と精一杯抵抗します。
そこで親が①子供の意思を理解できなかったり、②子供の意思を無視したり、③実は要求に応じようとしているけれど子供が早合点で「やらせてくれない」と判断してしまったりすると、もう大変なことになります。うちのKのイヤイヤデビューは育児本に出てくる典型的なシーンでした:アイスクリーム・パーラーの前の路上で号泣。②、子供の意思(アイスクリームが食べたい)を理解しながらも、(チョコレートコーティングだったので)無視しておせんべいでごまかそうとしていました。すごい勢いで泣きだすので「いいか、汚れた服は洗えばいい」と諦めた時は既に遅く、①「アイスクリーム、あげるから」という言葉は、泣き叫んで理性を失っている娘にもう③通じないのです。
ところで、イヤイヤ期では自分の意思と同時に「自分でやりたい」願望も現れます。これがまた厄介です。1歳では自分で靴など履けるはずがありませんから。一人でジュースを溢さずに注ぐこともできません。でも何もかも自分で、一人で、やりたがるのです。そして、やらせてもらえないと怒るのです。そして、やらせてもらって一人でできないとわかると、やはり怒るのです。
英語ではThe Terrible Twosという言い方をしますが、その名の通り2歳児を中心にこの現象が起こります。Kちゃんのイヤイヤ期も2歳の誕生日前後でピークを迎えました。当初の(ものすごく食べたかったであろう)アイスクリームと違って、今度は(端から見ればどうでもいい)生活習慣のすべてに及び始めます。歯磨き・着替え・オムツの交換など、子供は一日の中で機会さえあれば意見を表出します。言うまでもなくそれはすべてこちらの意思とは反対です。「えっ?これで」とビックリするくらい些細なきっかけで、すごいかんしゃくを起こしてくれます。
しかし、親はそれに怒ってはいけないんですって。子供の意思を尊重しないといけないんですって。子育て本にもそう書いてあるし、保育士もそう言っています。親はあくまでも落ち着いた声で「そうだったんだね。ピンクの靴下を履きたかったのね。それも、自分で履きたかったんだね」と子供の意思をひたすら理解するべきです。忙しいから、要求が理不尽だから、不可能だからなどの理由で断ってはいけません。肯定。とにかく子供に意思があって、子供がその意思を伝えようとしていることを喜ぶのです。やれやれ。
Kちゃんは今2歳4ヶ月になり、言葉の数が急速に増えてきています。自分の意思は相変わらず強い上、親のそれと異なるケースが多いのですが、やっと表現できるようになりました。好きではない(らしい)ズボンを履かせようとしたら「やだ」と大いに嫌がります。でも今では「だいだい色のズボンがいい」と言ったり、違うズボンを持ってきたりします。3歳になると今度は第一反抗期が待っているらしいです。
育児現場(戦場)からでした。
2015-04-14 : 17:40 : admin
はじめまして、独・英・日の通訳・翻訳を担当しております イコ と申します。
私はドイツ人の父と日本人の母の間に生まれました。一般的に「ハーフ」と言われる類に入ります。ハーフと聞いて日本の多くの方が想像するのは、風貌は両親からいいところをもらって、「かわいい・きれい」もしくは「ハンサム」。その上、日本語と英語を両方喋れる、いわゆる「バイリンガル」な人でしょう。一方の親の国籍に関係なく、日本語のほかに話せる言語は大抵、英語と考えられています。仕方がないことかもしれませんが。
話を私自身に戻しますと、ルックスはともあれ、言葉に関して言うと、私はバイリンガルではありません。非常に残念なことです。私はドイツで生まれ、ドイツ語の環境で育ちました。日本語は全く分かりませんでした。(大学に入って「日本学」の一環として日本語を学びましたが、大変苦労しました)。
さて、バイリンガルの語源をたどると、ラテン語のbi=「二つ」、lingua=「舌、言葉」という二つの形態素からできています。
「舌」という単語を「味覚」という意味で解釈しますと、私もバイリンガルです。大人になって骨を折って日本語を覚えなければならなかったのですが、私の味蕾は幼いころから両方の味、つまり両方の食文化を何の苦なく覚えました。
味覚というものを引き出しに例えれば分かりやすいと思います。和食の場合、その引き出しの中には出汁・醤油・みりん・味噌などといった調味料が入っています。ドイツの食べ物の味付けはベースに塩とこしょうがあり、タイム・ローズマリン・ディル・エストラゴン・バジルなどといったハーブをよく使います。日本の出汁の代わりになるのはブイヨンでしょうか。また、バターや生クリームもよく登場します。
和食の「モノリンガル」(一つの味覚のネイティブ)でも、例えレシピがなくても、自分の舌が記憶しているみりんや醤油を、目分量で使ったり、少し足したり、減らしたり、砂糖を加えてみたりできます。豚の角煮など作ったりします。私はタイ料理が大好きですが、タイ料理の基本となる香辛料のそれぞれの味・用途・配合・分量・組み合わせた時の味の変化などについては、まったく分かりません。要するに私にはタイ料理の調味料は使えません。引き出しの中身が謎だからです。中華やインド、世界のほぼすべての料理についても同じことが言えます。
「バイリンガル」の私は、両方の引き出しを開けて中身の調味料を頭の中で組み合わせることができます。それはものすごい強みだと思います。私は木苺のジャムとマスタードのサラダドレッシングの隠し味にお醤油を少し垂らすという冒険ができます。大胆に いぶりがっこ にクリームチーズを乗せてみます。両方の引き出しの中身を自由自在に使い、組み合わせて使いこなせています。食生活がとても豊かになり、楽しくもなります。
大変難しいことですが、言葉は大人になってから必死に努力して勉強すれば覚えることはできますが、大人になってから知らない味覚を身に付けるのはもっと難しいことではないでしょうか。自分を「食のバイリンガル」に育ててくれた母に感謝しています。
私はドイツ人の父と日本人の母の間に生まれました。一般的に「ハーフ」と言われる類に入ります。ハーフと聞いて日本の多くの方が想像するのは、風貌は両親からいいところをもらって、「かわいい・きれい」もしくは「ハンサム」。その上、日本語と英語を両方喋れる、いわゆる「バイリンガル」な人でしょう。一方の親の国籍に関係なく、日本語のほかに話せる言語は大抵、英語と考えられています。仕方がないことかもしれませんが。
話を私自身に戻しますと、ルックスはともあれ、言葉に関して言うと、私はバイリンガルではありません。非常に残念なことです。私はドイツで生まれ、ドイツ語の環境で育ちました。日本語は全く分かりませんでした。(大学に入って「日本学」の一環として日本語を学びましたが、大変苦労しました)。
さて、バイリンガルの語源をたどると、ラテン語のbi=「二つ」、lingua=「舌、言葉」という二つの形態素からできています。
「舌」という単語を「味覚」という意味で解釈しますと、私もバイリンガルです。大人になって骨を折って日本語を覚えなければならなかったのですが、私の味蕾は幼いころから両方の味、つまり両方の食文化を何の苦なく覚えました。
味覚というものを引き出しに例えれば分かりやすいと思います。和食の場合、その引き出しの中には出汁・醤油・みりん・味噌などといった調味料が入っています。ドイツの食べ物の味付けはベースに塩とこしょうがあり、タイム・ローズマリン・ディル・エストラゴン・バジルなどといったハーブをよく使います。日本の出汁の代わりになるのはブイヨンでしょうか。また、バターや生クリームもよく登場します。
和食の「モノリンガル」(一つの味覚のネイティブ)でも、例えレシピがなくても、自分の舌が記憶しているみりんや醤油を、目分量で使ったり、少し足したり、減らしたり、砂糖を加えてみたりできます。豚の角煮など作ったりします。私はタイ料理が大好きですが、タイ料理の基本となる香辛料のそれぞれの味・用途・配合・分量・組み合わせた時の味の変化などについては、まったく分かりません。要するに私にはタイ料理の調味料は使えません。引き出しの中身が謎だからです。中華やインド、世界のほぼすべての料理についても同じことが言えます。
「バイリンガル」の私は、両方の引き出しを開けて中身の調味料を頭の中で組み合わせることができます。それはものすごい強みだと思います。私は木苺のジャムとマスタードのサラダドレッシングの隠し味にお醤油を少し垂らすという冒険ができます。大胆に いぶりがっこ にクリームチーズを乗せてみます。両方の引き出しの中身を自由自在に使い、組み合わせて使いこなせています。食生活がとても豊かになり、楽しくもなります。
大変難しいことですが、言葉は大人になってから必死に努力して勉強すれば覚えることはできますが、大人になってから知らない味覚を身に付けるのはもっと難しいことではないでしょうか。自分を「食のバイリンガル」に育ててくれた母に感謝しています。
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