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# 食糧のエコとロシアのダーチャーについて考える
はじめまして、ロシア出身の Ulyanaと申します。SWIFTではロシア語のテープ起こしや、露語/日本語、露語/英語の翻訳を担当していますが、今回よりブログにも挑戦してみたいと思います。

最近、 A Thousand Sun というドキュメンタリーを見ました。アフリカのGamo Highlandsという地域の諸民族が1万年とも言われるほど長い間続けられている農業伝統を持続可能な農業の事例として、今日の世界的食糧問題について考えさせられるドキュメンタリーでした。人間・自然・地球という深い関わりを強調する映画で、是非ともお勧めします。
また、友達からDiet for A Hot Planetという本について教えてもらいました。著者Anna Lappéは、温暖化とその対策を考えるには、まず我々が毎日食べる食料を見直す必要があると論じています。もっとも大きい理由は、地球温暖化の原因とされている二酸化炭素の排出には、食料産業が三分の一を占めるからだそうです。
さらに、世界のメディアからわかるように食糧の安全性という問題がほとんど世界中で注目を浴びるようになりました。日本では無農薬栽培という方法で、お米や野菜を育てる傾向にあります。さらに、若者が田舎で自然にふれて農業体験できるプログラムも人気になりました。

食料とエコについて考えているうちに、ロシアのダーチャーについて思い出しました。もともと、ダーチャーというのは「別荘」という意味で、帝政ロシア期には貴族しか持たなかった避暑地の住まいであって、一般の人が郊外で小さな土地を持つようになったのはソ連になってからです。その土地に、夏用の家と畑をかならず作りました。60年代からダーチャーが全国的に増え、さらに80年代に、経済的な危機と食糧不足に直面したソ連の人々にとって、ダーチャーというのが唯一食糧の供給を保証できる食糧供給源になったのです。春から夏にかけて、ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、かぶなどの野菜を、長い冬のために準備をしました。さらに、保存料をいっさい使わず、日本の漬物のようなものや、果物のコンポートやジャムなどを作りました。ソ連の崩壊後も、不安定な毎日の中、ダーチャーで育てられた野菜が人々の生活を備える役割を果たしました。

私が子供のころ、特に80年代の後半〜90年代の始まりは、ロシアには食糧の問題が特に凄かった時期、お父さんが育てくれた野菜と果物をいっぱい食べたことを覚えています。しかも、それがすべて無農薬のものでした。あまり意識したことがなかったのですが、今世界的に食糧のエコを考える時代に、このような伝統がいいなと思うようになりました。最近ロシアでは、どこでもスーパーが増えてきているので特に若い人が自分で野菜を育てる必要性がなくなりました。けれども、街で働くとしても、田舎で小さいな畑を持ち、自分で野菜を育てるという伝統が続いてほしいなと思います。ちなみに、お父さんは今でも夏に野菜を育てています。去年、実家に帰ったときに写真をとりました。ご覧ください。

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