2010-12-13 : 21:08 : admin
「一滴の油を広い池の水に垂らせば、それは拡散して全体に及ぶ。」
それと同じように、はじめは前野良沢、中川淳庵、杉田玄白の三人で思いたった『解体新書』の翻訳をきっかけとして、『蘭学事始』が書かれるまでの50年ほどのあいだに、蘭学は大いに盛んになりました。杉田氏自身は、このように蘭学が盛り上がるとは予想していなかった、と言います。
もちろん、蘭学に関する書物や見解がさまざまに出てくる中には、良いものも悪いものも含まれていたようですが、当初の杉田氏らの志からすれば、それも喜ばしいことであった、ということになるのでしょう。
杉田氏は、蘭学がこれほどまでに広まった原因の一つとして、漢学との性質の違いに着目しています。漢学は「章を飾れる文(おそらく、美しく書くことを目的とする文章、ということでしょうか)」であるためにその広まりが遅かったのに対して、蘭学は「実事を辞書にそのまま記せしもの(事実関係をありのままに示すもの)」であったために迅速に開けていった、という理解です。こうしてみると、蘭学の導入は日本における科学的態度の発端となった、とも言えるのでしょうか。
むろんこうした理解は、当時の日本における漢学の役割を否定するものでもありません。杉田氏は、蘭学が迅速に広まった理由としてもう一つ、先に漢学の流布によって人々の知見が広まっていったことがあったのではないか、とも述べています。
いずれにせよ、杉田氏らが苦労して翻訳した『解体新書』は、現代の日本にもつながる重要な知的態度の創出につながった、といっても言い過ぎではないかと思います。
というわけで、前回「これから下巻です」と言っておきながら、今回が最後です。なぜなら、下巻の多くの部分は人物紹介に費やされていたので。まあ、それはそれでおもしろいので、興味のある方は是非読んでみてください。それではまた。次の連載ネタをどうしようか。
それと同じように、はじめは前野良沢、中川淳庵、杉田玄白の三人で思いたった『解体新書』の翻訳をきっかけとして、『蘭学事始』が書かれるまでの50年ほどのあいだに、蘭学は大いに盛んになりました。杉田氏自身は、このように蘭学が盛り上がるとは予想していなかった、と言います。
もちろん、蘭学に関する書物や見解がさまざまに出てくる中には、良いものも悪いものも含まれていたようですが、当初の杉田氏らの志からすれば、それも喜ばしいことであった、ということになるのでしょう。
杉田氏は、蘭学がこれほどまでに広まった原因の一つとして、漢学との性質の違いに着目しています。漢学は「章を飾れる文(おそらく、美しく書くことを目的とする文章、ということでしょうか)」であるためにその広まりが遅かったのに対して、蘭学は「実事を辞書にそのまま記せしもの(事実関係をありのままに示すもの)」であったために迅速に開けていった、という理解です。こうしてみると、蘭学の導入は日本における科学的態度の発端となった、とも言えるのでしょうか。
むろんこうした理解は、当時の日本における漢学の役割を否定するものでもありません。杉田氏は、蘭学が迅速に広まった理由としてもう一つ、先に漢学の流布によって人々の知見が広まっていったことがあったのではないか、とも述べています。
いずれにせよ、杉田氏らが苦労して翻訳した『解体新書』は、現代の日本にもつながる重要な知的態度の創出につながった、といっても言い過ぎではないかと思います。
というわけで、前回「これから下巻です」と言っておきながら、今回が最後です。なぜなら、下巻の多くの部分は人物紹介に費やされていたので。まあ、それはそれでおもしろいので、興味のある方は是非読んでみてください。それではまた。次の連載ネタをどうしようか。
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2010-11-29 : 21:53 : admin
二週間ぶりの『蘭学事始』です。
「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。(本当に、艪も舵もない船で大海原に出ていったように、見当もつかない状態でどうすることもできず、ただ茫然としていた。)」
杉田氏は『解体新書』の翻訳を開始した当初の様子を、このように書き記しています。ここでわたしは、最近似たような目にあったことを思い出しました。
なぜかわたしは、ちょっとした用事でイスラエル政府のサイトを閲覧しなければなりませんでした。実は政府公式サイトには英語のページがあるのですが、読み進んでいくうちにやはりというか当然というか、ヘブライ語のページにたどりついてしまいました。
「なんじゃこりゃ。」
感想はこれに尽きます。解読を早々に断念し、英語のページに戻るしかありませんでした。人生で初めて、ヘブライ語が読めずに困った瞬間です。
しかし杉田氏らは、そんなことで作業を放棄するわけにもいきません。オランダ語の助詞やら基本的な単語やらを一通り理解できるようになると、そこからは大量の謎かけです。
「『ウェインブラーウ』は目の上に生えている毛である。」
『ウェインブラーウ』=眉毛です。
「鼻は『フルヘッヘンド』しているものである。木の枝を切ればその後は『フルヘッヘンド』となり、庭を掃除すればゴミが集まって『フルヘッヘンド』となる。」
『フルヘッヘンド』=うずたかい、という意味です。これは、有名な一節ですね。
こんな調子で最初は大いに苦労し、一日かかって一行も理解できなかった日もあったようです。それでも一年ほどたつとだんだんとスムーズに訳出できるようになり、一日に十行ほども読めるようになっていったということですから、その努力と根性には本当に頭が下がります。
さて、ここまで8回にわたってお送りしてきた「『蘭学事始』が読みたい」ですが、ここまでが本編上巻となります。次回から、下巻を読み進めていきたいと思います(わたしが使っている岩波文庫版には両方収録されています)。まだ続くのか・・・
「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり。(本当に、艪も舵もない船で大海原に出ていったように、見当もつかない状態でどうすることもできず、ただ茫然としていた。)」
杉田氏は『解体新書』の翻訳を開始した当初の様子を、このように書き記しています。ここでわたしは、最近似たような目にあったことを思い出しました。
なぜかわたしは、ちょっとした用事でイスラエル政府のサイトを閲覧しなければなりませんでした。実は政府公式サイトには英語のページがあるのですが、読み進んでいくうちにやはりというか当然というか、ヘブライ語のページにたどりついてしまいました。
「なんじゃこりゃ。」
感想はこれに尽きます。解読を早々に断念し、英語のページに戻るしかありませんでした。人生で初めて、ヘブライ語が読めずに困った瞬間です。
しかし杉田氏らは、そんなことで作業を放棄するわけにもいきません。オランダ語の助詞やら基本的な単語やらを一通り理解できるようになると、そこからは大量の謎かけです。
「『ウェインブラーウ』は目の上に生えている毛である。」
『ウェインブラーウ』=眉毛です。
「鼻は『フルヘッヘンド』しているものである。木の枝を切ればその後は『フルヘッヘンド』となり、庭を掃除すればゴミが集まって『フルヘッヘンド』となる。」
『フルヘッヘンド』=うずたかい、という意味です。これは、有名な一節ですね。
こんな調子で最初は大いに苦労し、一日かかって一行も理解できなかった日もあったようです。それでも一年ほどたつとだんだんとスムーズに訳出できるようになり、一日に十行ほども読めるようになっていったということですから、その努力と根性には本当に頭が下がります。
さて、ここまで8回にわたってお送りしてきた「『蘭学事始』が読みたい」ですが、ここまでが本編上巻となります。次回から、下巻を読み進めていきたいと思います(わたしが使っている岩波文庫版には両方収録されています)。まだ続くのか・・・
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2010-11-15 : 13:22 : admin
コウです。一回お休みして、前々回の続き。日本でも蘭学に対する関心が高まり、医療関係者の間でもその重要性が徐々に理解されるようになってきたところからです。ついに『解体新書』の原著である、『ターヘル・アナトミア』を手に入れる時がやってきました。
入手したのは、本草学(今で言う薬学でしょうか)者の中川淳庵でした。杉田氏とともに一読したところ、意味が全く分かりません。しかし、そこに描かれた図の子細なところから、おそらく実際の見聞に拠って書かれたものであろうということを推測しています。加えてそれは、当時中国から伝わっていた説とは大いに異なっていたという点でも、大変興味をそそられるものでもあったのです。
そのような折、千住骨ヶ原という刑場で腑分け(人体解剖)が行なわれるという情報が入ってきます。それで是非、腑分けを見学して『ターヘル・アナトミア』の真偽を確かめてみようということになりました。この腑分けには前野氏も呼ばれています。彼は長崎留学の際に手に入れた、中川氏のものと同版の『ターヘル・アナトミア』を持参しており、その偶然を喜んだということです。
実際に腑分けを目にした結果明らかになったのは、『ターヘル・アナトミア』に描かれた図の驚くべき正確さでした。また、刑場に四散していた人骨についても照合してみたところ、それもまた正確なものであったということです。こうして明らかになった人体図が、これまでの知識とは大きく異なっていたことに、一同驚くとともに、医療に携わるものとして正確な知識を有していなかったことに恥入ったと、当時の心情が描写されています。
そして刑場からの帰り道、杉田氏、中川氏、前野氏はそろって、『ターヘル・アナトミア』の翻訳を決意します。苦難の始まりです。(続く)
入手したのは、本草学(今で言う薬学でしょうか)者の中川淳庵でした。杉田氏とともに一読したところ、意味が全く分かりません。しかし、そこに描かれた図の子細なところから、おそらく実際の見聞に拠って書かれたものであろうということを推測しています。加えてそれは、当時中国から伝わっていた説とは大いに異なっていたという点でも、大変興味をそそられるものでもあったのです。
そのような折、千住骨ヶ原という刑場で腑分け(人体解剖)が行なわれるという情報が入ってきます。それで是非、腑分けを見学して『ターヘル・アナトミア』の真偽を確かめてみようということになりました。この腑分けには前野氏も呼ばれています。彼は長崎留学の際に手に入れた、中川氏のものと同版の『ターヘル・アナトミア』を持参しており、その偶然を喜んだということです。
実際に腑分けを目にした結果明らかになったのは、『ターヘル・アナトミア』に描かれた図の驚くべき正確さでした。また、刑場に四散していた人骨についても照合してみたところ、それもまた正確なものであったということです。こうして明らかになった人体図が、これまでの知識とは大きく異なっていたことに、一同驚くとともに、医療に携わるものとして正確な知識を有していなかったことに恥入ったと、当時の心情が描写されています。
そして刑場からの帰り道、杉田氏、中川氏、前野氏はそろって、『ターヘル・アナトミア』の翻訳を決意します。苦難の始まりです。(続く)
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2010-11-01 : 12:14 : admin
コウです。前回はオランダ人に面会して言葉を勉強しようとした前野氏が、通訳に諦めるよう促される、というところまで読み進めました。なぜだったのでしょう?
その通訳は、当時のオランダ語学習の困難について次のように語っています。たとえば、水や酒を「飲む」ということについて尋ねるにしても、茶碗などを持って口につける真似をし、これは何か、と問うしかないと言います。それが相手に理解されれば、「デリンキ(drink)」だということを教えてもらえる、という具合です。
しかし、酒の好き嫌いや、あるいは故郷に思いをめぐらせると言った、心情的な意味を問うとなると、事態はもっと複雑になっていきます。現代に生きるわたしたちは、こうしたことが文化依存的であることもそれなりに知っていますから、他国の言葉を何の背景知識もなく理解しようという作業が、とてつもなく難しいということは想像できます。かの通訳も、「常に和蘭人に朝夕してすら容易に納得し難し(常にオランダ人とともにいるにもかかわらず、簡単には理解できない)」と言うばかりです。
しかし、オランダの文物が伝わっていくにつれ、徐々にその知識を求める動きは強くなっていました。医者であった前野氏も、オランダ伝来の医術に直接ふれたこともあって知的欲求を大いに高めていました。そして今度は、日本人の通訳について懸命に学び、簡単なオランダ語の知識を手に入れることができました。
こうした、大きな知的欲求と、少しばかりのオランダ語の知識が、「解体新書」の翻訳を進める力となっていきます。(続く)
その通訳は、当時のオランダ語学習の困難について次のように語っています。たとえば、水や酒を「飲む」ということについて尋ねるにしても、茶碗などを持って口につける真似をし、これは何か、と問うしかないと言います。それが相手に理解されれば、「デリンキ(drink)」だということを教えてもらえる、という具合です。
しかし、酒の好き嫌いや、あるいは故郷に思いをめぐらせると言った、心情的な意味を問うとなると、事態はもっと複雑になっていきます。現代に生きるわたしたちは、こうしたことが文化依存的であることもそれなりに知っていますから、他国の言葉を何の背景知識もなく理解しようという作業が、とてつもなく難しいということは想像できます。かの通訳も、「常に和蘭人に朝夕してすら容易に納得し難し(常にオランダ人とともにいるにもかかわらず、簡単には理解できない)」と言うばかりです。
しかし、オランダの文物が伝わっていくにつれ、徐々にその知識を求める動きは強くなっていました。医者であった前野氏も、オランダ伝来の医術に直接ふれたこともあって知的欲求を大いに高めていました。そして今度は、日本人の通訳について懸命に学び、簡単なオランダ語の知識を手に入れることができました。
こうした、大きな知的欲求と、少しばかりのオランダ語の知識が、「解体新書」の翻訳を進める力となっていきます。(続く)
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2010-10-25 : 16:53 : admin
コウです。先週は、暗号の塊を書き写すところまでお話ししましたね。意味のまったくわからないオランダ語を、一体彼らはどうやって学んでいったのでしょうか。
ここで唐突に、前野良沢が登場します。ご存知、解体新書を翻訳した蘭学者の一人です。杉田氏は彼を指し、「天然の奇士」と評しています。ちなみに奇士という言葉を辞書で調べてみると、「言行の特に優れた人」という意味と、「おかしな言行をする人」の二通りの意味がありますが、彼の場合は一体どちらだったのでしょう。前野は医業に励む傍ら、趣味として一節切(尺八の仲間)や狂言などを極めていたとありますが、なんだかどちらの意味にもとれそうです。
こんな前野氏でしたが、「かくのごとき奇を好む性なりしにより(このように奇抜なことを好む性格だったため)」オランダ語を習い始めました。当時の風潮からすれば、外国語学習者に対してはこういった解釈を与えざるをえないんですね。とすると、先の問題の答えは後者、「おかしな言行をする人」でしょうか。
アルファベットを覚えて久しいある日のこと、前野氏は江戸の知人宅にオランダ人が来たことを知り、オランダ語を学ぼうと面会を試みます。が、結局あきらめてしまいました。この時、前野氏にオランダ人との面会をあきらめるよう諭した通訳の言い分は、当時の外国語習得の困難をよくあらわしています。これはちょっと長くなりそうなので、また次回。(続く)
ここで唐突に、前野良沢が登場します。ご存知、解体新書を翻訳した蘭学者の一人です。杉田氏は彼を指し、「天然の奇士」と評しています。ちなみに奇士という言葉を辞書で調べてみると、「言行の特に優れた人」という意味と、「おかしな言行をする人」の二通りの意味がありますが、彼の場合は一体どちらだったのでしょう。前野は医業に励む傍ら、趣味として一節切(尺八の仲間)や狂言などを極めていたとありますが、なんだかどちらの意味にもとれそうです。
こんな前野氏でしたが、「かくのごとき奇を好む性なりしにより(このように奇抜なことを好む性格だったため)」オランダ語を習い始めました。当時の風潮からすれば、外国語学習者に対してはこういった解釈を与えざるをえないんですね。とすると、先の問題の答えは後者、「おかしな言行をする人」でしょうか。
アルファベットを覚えて久しいある日のこと、前野氏は江戸の知人宅にオランダ人が来たことを知り、オランダ語を学ぼうと面会を試みます。が、結局あきらめてしまいました。この時、前野氏にオランダ人との面会をあきらめるよう諭した通訳の言い分は、当時の外国語習得の困難をよくあらわしています。これはちょっと長くなりそうなので、また次回。(続く)
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2010-10-18 : 21:42 : admin
コウです。
先々週は予想外の記述に出くわし、びっくりしてそのまま筆を置いてしまいました。その記述とは、校訳注者である緒方氏の付した注記の部分にありました。それによれば、杉田氏の書きようにはどうやら一部、誇張が入っているらしい。
たとえばその注記によれば、長崎のオランダ通訳官がオランダ語をカタカナで書きとめていただけで、暗記して通訳していたというのは「事実ではない」。また、幕府への願い出が許されてオランダ語を学び始めたというのも「真実ではない」。
わたしにそのあたりの正否を判断する能力はありませんが、とにかく当時の苦労が少しばかり大げさに語られていたのかもしません。ただ、読み物としてはそれでよくても、歴史としてはちょっと困る。難しいところです。
もちろん、そのあとに杉田氏が、一般人がみだりに横文字を取り扱うのははばかられていた、と繰り返し書いているところからすると、ご禁制とはいかないまでも、やはりオランダ語そのものへのアクセスは著しく制限されていたというのは事実だったのでしょう。彼らによるオランダ語翻訳の苦労は、ここから始まっていくのです。
そんなこんなで彼らはまず、今で言う辞書のようなものをオランダ人から借り受け、書き写し始めたのでした。もちろん、オランダ語で書かれた辞書ですし、そこに書かれている文字列の「意味」などわかりません(そんなものがわかるぐらいなら、この話は成立しません)。意味不明の文字列を、ただ書き写し続ける作業。想像しただけで嫌になりますね。(続く)
先々週は予想外の記述に出くわし、びっくりしてそのまま筆を置いてしまいました。その記述とは、校訳注者である緒方氏の付した注記の部分にありました。それによれば、杉田氏の書きようにはどうやら一部、誇張が入っているらしい。
たとえばその注記によれば、長崎のオランダ通訳官がオランダ語をカタカナで書きとめていただけで、暗記して通訳していたというのは「事実ではない」。また、幕府への願い出が許されてオランダ語を学び始めたというのも「真実ではない」。
わたしにそのあたりの正否を判断する能力はありませんが、とにかく当時の苦労が少しばかり大げさに語られていたのかもしません。ただ、読み物としてはそれでよくても、歴史としてはちょっと困る。難しいところです。
もちろん、そのあとに杉田氏が、一般人がみだりに横文字を取り扱うのははばかられていた、と繰り返し書いているところからすると、ご禁制とはいかないまでも、やはりオランダ語そのものへのアクセスは著しく制限されていたというのは事実だったのでしょう。彼らによるオランダ語翻訳の苦労は、ここから始まっていくのです。
そんなこんなで彼らはまず、今で言う辞書のようなものをオランダ人から借り受け、書き写し始めたのでした。もちろん、オランダ語で書かれた辞書ですし、そこに書かれている文字列の「意味」などわかりません(そんなものがわかるぐらいなら、この話は成立しません)。意味不明の文字列を、ただ書き写し続ける作業。想像しただけで嫌になりますね。(続く)
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2010-10-04 : 11:37 : admin
今週からいよいよ本題。『蘭学事始』の内容を読み進めていきたいと思います(ここでは岩波文庫で出版されている、杉田玄白『蘭学事始』緒方富雄校訳注、岩波書店、1959年を参照しています)。ちなみにわたしは江戸時代の専門家ではありませんし、そもそも文学者でも歴史家でも医者でもありませんから、ここではひたすら杉田氏の記述に感動し、現在のわたしの生き方を省みる、という形式をとりたいと思います。
さて、杉田氏は『解体新書』の翻訳をめぐる話に入る前に、まずは文字を知ることの苦労から話を切り出します。鎖国中の日本では、外国語が一般に通用していなかったのも当然のことながら、オランダ語もまた、限られた者(通訳者)が、限られた形(カタカナ!)で習得していたにとどまっていたようです。
曰く、「渡海御免の和蘭にても、その通用の横行の文字、読み書きのことはご禁止なるにより、通詞の輩ただ片仮名書きの書留等までにて、口づから記憶して通弁の御用も工弁せしにて、年月を経たり。(日本への渡来を許されていたオランダについても、その言語の読み書きは禁止されていたため、通訳者らはカタカナで書き留めるだけで、通訳業務も長年にわたり口頭での受け答えを暗記して行なわれてきた。)」
しかし、オランダ語の本を読むためには当然、その文字を知らねばなりません。そのために初めにせねばならなかったのは、幕府に「横文字」使用の許可を願い出ることでした。杉田氏をはじめとする蘭学者にとっては幸運なことに、幕府はその申請を「至極尤もの願ひ筋なり(大変理にかなった願い出である)」として、速やかに許可したとのことでした。
文字もろくに知られていない中で、いったいどうやって翻訳を進めようというのか。読者の関心をそそる展開になってきました。しかしその読者たるわたしは、ここで早くも予想外の記述を目にすることになります。(続く)
さて、杉田氏は『解体新書』の翻訳をめぐる話に入る前に、まずは文字を知ることの苦労から話を切り出します。鎖国中の日本では、外国語が一般に通用していなかったのも当然のことながら、オランダ語もまた、限られた者(通訳者)が、限られた形(カタカナ!)で習得していたにとどまっていたようです。
曰く、「渡海御免の和蘭にても、その通用の横行の文字、読み書きのことはご禁止なるにより、通詞の輩ただ片仮名書きの書留等までにて、口づから記憶して通弁の御用も工弁せしにて、年月を経たり。(日本への渡来を許されていたオランダについても、その言語の読み書きは禁止されていたため、通訳者らはカタカナで書き留めるだけで、通訳業務も長年にわたり口頭での受け答えを暗記して行なわれてきた。)」
しかし、オランダ語の本を読むためには当然、その文字を知らねばなりません。そのために初めにせねばならなかったのは、幕府に「横文字」使用の許可を願い出ることでした。杉田氏をはじめとする蘭学者にとっては幸運なことに、幕府はその申請を「至極尤もの願ひ筋なり(大変理にかなった願い出である)」として、速やかに許可したとのことでした。
文字もろくに知られていない中で、いったいどうやって翻訳を進めようというのか。読者の関心をそそる展開になってきました。しかしその読者たるわたしは、ここで早くも予想外の記述を目にすることになります。(続く)
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2010-09-27 : 23:18 : admin
さて、先々週の続き。『蘭学事始』が読みたいコウです。こんにちは。
『蘭学事始』の内容に入る前に、簡単にこれがどういったお話なのか、背景を説明しておいた方がよいかと思います。
もちろん、中学校や高校の教科書にも出てくるぐらいなので、おそらくみなさんもその名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。しかし、実際に読んだことがあるかといえば、そういった方はあまりいないのではないでしょうか。ちなみにわたしは、30歳になって初めて、『蘭学事始』を実際に手に取りました。
『蘭学事始』は、蘭学者の杉田玄白が、蘭学が日本に入ってきたばかりのころのことを後世に伝えようと書き残したものでした。『蘭学事始』と並んで有名な杉田玄白らの業績、『解体新書』をめぐる翻訳の経緯についても、この中で触れられています。
ちなみにここでいう「蘭学」とは、オランダを通じて入ってきたヨーロッパの学問や文学の総称だそうです。つまり、その正確な内容は、「オランダの学問」ではなく、「ヨーロッパの学問」だったわけです。当時(というか徳川秀忠の時代から200年以上の間)、日本は幕府の方針で鎖国政策をとっており、ポルトガルが貿易から排除されてからはオランダだけが日本(それも長崎の出島に限る)との通商関係を保っていましたから、そこから入ってくるヨーロッパの学問が「蘭学」と称されることになんら不思議なところはありません。
『蘭学事始』が書かれたのは文化12年(1815年)ごろ、つまり幕府が異国船打ち払い令を出す10年ほど前のことですから、黒船来航など一連の外国船の到着によって日本が開国に向けて大きく舵を切るには、もう少し時間がかかるといった時代です。『解体新書』が刊行されたのはさらにそれより40年ほどさかのぼって、安永3年(1774年)のことになります。つまり、鎖国絶頂期です。
先週の前置きに引き続き、今週は背景説明が長くなってしまいましたが、これだけでもすでに当時の苦労がしのばれます。では、また来週。(続く。)
『蘭学事始』の内容に入る前に、簡単にこれがどういったお話なのか、背景を説明しておいた方がよいかと思います。
もちろん、中学校や高校の教科書にも出てくるぐらいなので、おそらくみなさんもその名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。しかし、実際に読んだことがあるかといえば、そういった方はあまりいないのではないでしょうか。ちなみにわたしは、30歳になって初めて、『蘭学事始』を実際に手に取りました。
『蘭学事始』は、蘭学者の杉田玄白が、蘭学が日本に入ってきたばかりのころのことを後世に伝えようと書き残したものでした。『蘭学事始』と並んで有名な杉田玄白らの業績、『解体新書』をめぐる翻訳の経緯についても、この中で触れられています。
ちなみにここでいう「蘭学」とは、オランダを通じて入ってきたヨーロッパの学問や文学の総称だそうです。つまり、その正確な内容は、「オランダの学問」ではなく、「ヨーロッパの学問」だったわけです。当時(というか徳川秀忠の時代から200年以上の間)、日本は幕府の方針で鎖国政策をとっており、ポルトガルが貿易から排除されてからはオランダだけが日本(それも長崎の出島に限る)との通商関係を保っていましたから、そこから入ってくるヨーロッパの学問が「蘭学」と称されることになんら不思議なところはありません。
『蘭学事始』が書かれたのは文化12年(1815年)ごろ、つまり幕府が異国船打ち払い令を出す10年ほど前のことですから、黒船来航など一連の外国船の到着によって日本が開国に向けて大きく舵を切るには、もう少し時間がかかるといった時代です。『解体新書』が刊行されたのはさらにそれより40年ほどさかのぼって、安永3年(1774年)のことになります。つまり、鎖国絶頂期です。
先週の前置きに引き続き、今週は背景説明が長くなってしまいましたが、これだけでもすでに当時の苦労がしのばれます。では、また来週。(続く。)
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2010-09-13 : 23:30 : admin
わたしたちは今、大変ありがたい時代に生きています。何しろ、英語であれロシア語であれドイツ語であれ、外国語の書物を読もうとすれば、辞書を手に入れるのは造作もないことです。高校生ですら、英語の電子辞書を持っている時代です。人に聞くことも、お金を払って翻訳を依頼することも、今では当たり前のことです。
もちろん、読んでいれば知らない言葉はちょこちょこ出てきます。わたしも英語の翻訳に携わって久しい(といっても6年ほど)ですが、やっぱりわからない言葉はあります。しかし、ヒントはどこかに落ちているものです。特に、インターネットで言葉を検索することができるのは、わからない言葉を特定していく上で大変助かります。稀にですが、それでもわからない専門用語や地名などを調べる際に、特定分野の論文集などを当たって、そこから言葉を類推していくこともあります。そういった場合には諸外国、諸分野の文献が集まる立派な図書館があるということにも、大変なありがたみを感じるわけです。
では、インターネットはもちろんのこと、辞書もなく、図書館もなく、専門分野の資料集もない状況で、翻訳を進めることは果たして可能なのでしょうか。いわゆる翻訳業で行なうような、迅速で正確な訳出をやれと言われても、それは無理な話です。
でも、外国語が伝わり始めたばかりのころには、誰かが、ゆっくりでも、間違えながらでも、それをしなければならなかったのでした。その時代の苦労を考えれば、今の恵まれた環境の中で翻訳に難儀するなどということは、おいそれと口には出せないのです。とまで言ってしまってよいのかどうかはわかりませんが、ストーリーの都合上、差し当たりそう言い切ってしまうことにします。
前置きがだいぶん長くなりましたが、そういうわけでわたしは、『蘭学事始』が読みたいのだ、ということをここに宣言したいと思います。(続く。)
もちろん、読んでいれば知らない言葉はちょこちょこ出てきます。わたしも英語の翻訳に携わって久しい(といっても6年ほど)ですが、やっぱりわからない言葉はあります。しかし、ヒントはどこかに落ちているものです。特に、インターネットで言葉を検索することができるのは、わからない言葉を特定していく上で大変助かります。稀にですが、それでもわからない専門用語や地名などを調べる際に、特定分野の論文集などを当たって、そこから言葉を類推していくこともあります。そういった場合には諸外国、諸分野の文献が集まる立派な図書館があるということにも、大変なありがたみを感じるわけです。
では、インターネットはもちろんのこと、辞書もなく、図書館もなく、専門分野の資料集もない状況で、翻訳を進めることは果たして可能なのでしょうか。いわゆる翻訳業で行なうような、迅速で正確な訳出をやれと言われても、それは無理な話です。
でも、外国語が伝わり始めたばかりのころには、誰かが、ゆっくりでも、間違えながらでも、それをしなければならなかったのでした。その時代の苦労を考えれば、今の恵まれた環境の中で翻訳に難儀するなどということは、おいそれと口には出せないのです。とまで言ってしまってよいのかどうかはわかりませんが、ストーリーの都合上、差し当たりそう言い切ってしまうことにします。
前置きがだいぶん長くなりましたが、そういうわけでわたしは、『蘭学事始』が読みたいのだ、ということをここに宣言したいと思います。(続く。)
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