2010-05-28 : 12:09 : admin
前回5月15日の投稿に続いて翻訳で迷う訳語についてです。
アメリカ政府に関するニュースや文書を見ていると、日本のものとは違う役職名をよく見かけます。「次官」は日本にもいますが、「次官補」や「副次官補」はないですよね。これらは日本の省庁でいうと局長や課長といった役職にあたるもので、正式名称になると「国務次官補(東アジア太平洋担当)」などという具合に、所属する省庁や担当する仕事の名前が前後についてきます。「外務省北米局長」というような表記と同じです。
ただここで紛らわしいのが、日本語でいう「副」にあたる表現が英語では「Vice」と「Deputy」の2つあるということです。この2つ、日本語では同じ「副」ですが英語ではお互い交換可能というわけではないようです。例えば副大統領(Vice President)をDeputy Presidentなんてどう間違っても言わないですよね。
おそらく語源が違うのでしょうし、そこから派生して意味も微妙に違うのだろうと思います。ただどう違うのかが今ひとつはっきりしません。なんとなく、軍隊でいうライン(指揮命令系統の中にいる=下に辿るとたくさんの部下が連なっている)のほうの幹部がDeputyで、スタッフ(指揮権はもたず指揮官の補佐をする)のほうの幹部がViceなのかな、と理解しています。例えば副大統領には専属のスタッフはいるものの、その下にアメリカ政府のどこかの省庁が属しているわけではありませんよね。逆に上に挙げた国務次官補は、それぞれヨーロッパやアフリカなどを担当する様々な部局を束ねている人たちです。Viceのつく役職で下に大きな組織を抱えている所は(アメリカでは、ですが)あまりないように思います。
とはいえ、よしんばこの区切り方が正しかったとしても訳に反映させる方法はありません。英語で読んでいる人聞いている人はもしやこの違いを念頭に置いてるのでは、と思うと少々残念です…。
アメリカ政府に関するニュースや文書を見ていると、日本のものとは違う役職名をよく見かけます。「次官」は日本にもいますが、「次官補」や「副次官補」はないですよね。これらは日本の省庁でいうと局長や課長といった役職にあたるもので、正式名称になると「国務次官補(東アジア太平洋担当)」などという具合に、所属する省庁や担当する仕事の名前が前後についてきます。「外務省北米局長」というような表記と同じです。
ただここで紛らわしいのが、日本語でいう「副」にあたる表現が英語では「Vice」と「Deputy」の2つあるということです。この2つ、日本語では同じ「副」ですが英語ではお互い交換可能というわけではないようです。例えば副大統領(Vice President)をDeputy Presidentなんてどう間違っても言わないですよね。
おそらく語源が違うのでしょうし、そこから派生して意味も微妙に違うのだろうと思います。ただどう違うのかが今ひとつはっきりしません。なんとなく、軍隊でいうライン(指揮命令系統の中にいる=下に辿るとたくさんの部下が連なっている)のほうの幹部がDeputyで、スタッフ(指揮権はもたず指揮官の補佐をする)のほうの幹部がViceなのかな、と理解しています。例えば副大統領には専属のスタッフはいるものの、その下にアメリカ政府のどこかの省庁が属しているわけではありませんよね。逆に上に挙げた国務次官補は、それぞれヨーロッパやアフリカなどを担当する様々な部局を束ねている人たちです。Viceのつく役職で下に大きな組織を抱えている所は(アメリカでは、ですが)あまりないように思います。
とはいえ、よしんばこの区切り方が正しかったとしても訳に反映させる方法はありません。英語で読んでいる人聞いている人はもしやこの違いを念頭に置いてるのでは、と思うと少々残念です…。
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2010-05-15 : 22:37 : admin
# 政治文化の違い
こんにちは、Youです。
今回は翻訳や自分の研究の中で悩む文化の違いについてです。
アメリカの政治に関する翻訳や研究をしていると、「bipartisan」という単語に遭遇することがあります。日本語では「超党派の」などと訳されることが多いようですが、直訳すると両党の、とか二党の、という意味になりますよね。これはアメリカやイギリスの二大政党制(イギリスはもう過去の話になりましたが)が背景にあるわけで、訳していると本当に超党派でいいのか不安になることがあります。
例えばアメリカ政府の外交文書を見ていると、アメリカを訪問する予定の日本の超党派議員団のことを「multipartisanの訪米団」と表現しています。bipartisanとは区別しているわけで、そうすると日本語のほうも別に表現を考えたほうがいいのかな?と思うわけです。アメリカだとbipartisanという用語は党派の垣根を超えて議会が事実上一致した状態にあることを指していると思うのですが、日本の場合、語義的には例えば少数政党同士が手を組んでもbipartisanになりえるのではないかと思います。でもそれは「超党派」と言えるのかどうか…実際にこういう例を見たわけではありませんが、背景の違う用語を訳す時にはもともとの意味と訳す先の言語でのわかりやすさとの間でどうしても埋められない溝が出てしまう、というお話しでした。
テレビでも本でも、翻訳された専門用語を見る時にはどういうずれがあるのかに注意してみるとおもしろいかもしれません。
今回は翻訳や自分の研究の中で悩む文化の違いについてです。
アメリカの政治に関する翻訳や研究をしていると、「bipartisan」という単語に遭遇することがあります。日本語では「超党派の」などと訳されることが多いようですが、直訳すると両党の、とか二党の、という意味になりますよね。これはアメリカやイギリスの二大政党制(イギリスはもう過去の話になりましたが)が背景にあるわけで、訳していると本当に超党派でいいのか不安になることがあります。
例えばアメリカ政府の外交文書を見ていると、アメリカを訪問する予定の日本の超党派議員団のことを「multipartisanの訪米団」と表現しています。bipartisanとは区別しているわけで、そうすると日本語のほうも別に表現を考えたほうがいいのかな?と思うわけです。アメリカだとbipartisanという用語は党派の垣根を超えて議会が事実上一致した状態にあることを指していると思うのですが、日本の場合、語義的には例えば少数政党同士が手を組んでもbipartisanになりえるのではないかと思います。でもそれは「超党派」と言えるのかどうか…実際にこういう例を見たわけではありませんが、背景の違う用語を訳す時にはもともとの意味と訳す先の言語でのわかりやすさとの間でどうしても埋められない溝が出てしまう、というお話しでした。
テレビでも本でも、翻訳された専門用語を見る時にはどういうずれがあるのかに注意してみるとおもしろいかもしれません。
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2010-04-23 : 12:11 : admin
# 野菜の買い方
こんにちは、Youです。
今日は、アメリカでの暮らしでびっくりしたことです。
よくサービス業の質は日本のほうがいいという話を聞きます。
私もそう思っていましたし、実際住んでみてそれを実感する時が
ちょくちょくあります。日本は本当に至れり尽くせりです。
ただその反面、
慣れてくるとアメリカのような必要なサービスのみ提供して後は放任、
というほうがこちらにとっても好都合な場合もあります。
例えばスーパーで野菜を買う時。
日本だと価格表示は一個あたりですね。
これがアメリカだと重量あたりになります。
1ポンド何ドル何セント、という表示があるので
価格を知りたければ近くに置いてあるはかりを使わないといけません。
私はこれが本当に苦痛で、
最初はポンド表示のものを一切買わなかったくらいです。
重さを測るのが面倒な上に、
手に持ってみてもポンドの感覚がわからないので
まったく見当がつかなかったからです。
今ではなんとなくこの重さならこれくらいかな、
という目処を立てることができるようになりました。
こうなるとぴったり自分の欲しい量を買えますので、
途端に便利になります。
よくよく考えてみると野菜や果物はどれも重さや形がばらばらなわけで、
業者にとってもこの方式のほうが効率がいいんでしょう。
その分値段も安くなっている可能性もあるかもしれません。
日本のように大きさや形を揃える必要もない分、
建物内では夏は寒く冬は暑いというこのとんでもない国では稀な、
環境に優しい習慣かもしれません。
ちなみに価格表示は数字が大きく書かれ、
脇に小さく「ea」(一つあたり)または「lb」(ポンド)と書いてあります。
これを見落とすと、
一つあたりの価格で計算して破格の値段だなあと
スキップしながらレジに行ったら
ポンド当たりだった、というがっかりな体験をするはめになります。
金銭的にはたいしたことありませんが、精神的には大きな打撃です。
こういうのが積み重なると、
日本の過剰なまでのサービスがなつかしくなってきます…。
今日は、アメリカでの暮らしでびっくりしたことです。
よくサービス業の質は日本のほうがいいという話を聞きます。
私もそう思っていましたし、実際住んでみてそれを実感する時が
ちょくちょくあります。日本は本当に至れり尽くせりです。
ただその反面、
慣れてくるとアメリカのような必要なサービスのみ提供して後は放任、
というほうがこちらにとっても好都合な場合もあります。
例えばスーパーで野菜を買う時。
日本だと価格表示は一個あたりですね。
これがアメリカだと重量あたりになります。
1ポンド何ドル何セント、という表示があるので
価格を知りたければ近くに置いてあるはかりを使わないといけません。
私はこれが本当に苦痛で、
最初はポンド表示のものを一切買わなかったくらいです。
重さを測るのが面倒な上に、
手に持ってみてもポンドの感覚がわからないので
まったく見当がつかなかったからです。
今ではなんとなくこの重さならこれくらいかな、
という目処を立てることができるようになりました。
こうなるとぴったり自分の欲しい量を買えますので、
途端に便利になります。
よくよく考えてみると野菜や果物はどれも重さや形がばらばらなわけで、
業者にとってもこの方式のほうが効率がいいんでしょう。
その分値段も安くなっている可能性もあるかもしれません。
日本のように大きさや形を揃える必要もない分、
建物内では夏は寒く冬は暑いというこのとんでもない国では稀な、
環境に優しい習慣かもしれません。
ちなみに価格表示は数字が大きく書かれ、
脇に小さく「ea」(一つあたり)または「lb」(ポンド)と書いてあります。
これを見落とすと、
一つあたりの価格で計算して破格の値段だなあと
スキップしながらレジに行ったら
ポンド当たりだった、というがっかりな体験をするはめになります。
金銭的にはたいしたことありませんが、精神的には大きな打撃です。
こういうのが積み重なると、
日本の過剰なまでのサービスがなつかしくなってきます…。
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2010-04-09 : 19:15 : admin
# 他人との距離感
Youです。3月24日の投稿に引き続き、
自分の持っていたアメリカへの先入観についてです。
前回の顔にはっきりと表情を出すという話と関連しているのですが、
アメリカでは他人との距離の取り方も日本とは違うような気がします。
例えば外出先や電車の中で全く知らない人と一緒になっても、
話しかけられたりという場面をよく見かけます。
また、私はアメリカ国内を旅行する時によく小さなB&Bに泊まるのですが、
ここでも、宿のオーナーが軒先で
通りかかった人や近所に道路の工事に来た人と
おしゃべりしていることが珍しくありません。
こういう公的な空間での距離感は思っていた通りで
特に違和感もなかったのですが、
ちょっとびっくりしたのが私的な空間での付き合い方です。
アメリカに来る前の予想では私的空間でもかまわず踏み込んで、
積極的に会話もして、というものだったのですが、
実際には可能な限り互いの空間に踏み込もうとしません。
私はアメリカ人3人とルームシェアをしていて、
最初はこの距離感がわからなくてかなり苦労しました。
風邪引いてるようだけど大丈夫なのか。
外出したまま3日も帰ってきてないけど大丈夫なのか。
最近ずっとシリアルしか食べてないけど大丈夫なのか。等々。
これはアメリカ的な個人主義の現れと言えばそれまでかもしれませんし、
ルームシェアの場合は日本でも同じ問題を抱えるかもしれません。
ただ自分の場合、日本では公的な空間では他人と距離を置くが
私的な空間では距離を詰める(詰められる)ことが多かったので、
対照的な経験としてとても印象に残っています。
自分の持っていたアメリカへの先入観についてです。
前回の顔にはっきりと表情を出すという話と関連しているのですが、
アメリカでは他人との距離の取り方も日本とは違うような気がします。
例えば外出先や電車の中で全く知らない人と一緒になっても、
話しかけられたりという場面をよく見かけます。
また、私はアメリカ国内を旅行する時によく小さなB&Bに泊まるのですが、
ここでも、宿のオーナーが軒先で
通りかかった人や近所に道路の工事に来た人と
おしゃべりしていることが珍しくありません。
こういう公的な空間での距離感は思っていた通りで
特に違和感もなかったのですが、
ちょっとびっくりしたのが私的な空間での付き合い方です。
アメリカに来る前の予想では私的空間でもかまわず踏み込んで、
積極的に会話もして、というものだったのですが、
実際には可能な限り互いの空間に踏み込もうとしません。
私はアメリカ人3人とルームシェアをしていて、
最初はこの距離感がわからなくてかなり苦労しました。
風邪引いてるようだけど大丈夫なのか。
外出したまま3日も帰ってきてないけど大丈夫なのか。
最近ずっとシリアルしか食べてないけど大丈夫なのか。等々。
これはアメリカ的な個人主義の現れと言えばそれまでかもしれませんし、
ルームシェアの場合は日本でも同じ問題を抱えるかもしれません。
ただ自分の場合、日本では公的な空間では他人と距離を置くが
私的な空間では距離を詰める(詰められる)ことが多かったので、
対照的な経験としてとても印象に残っています。
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2010-03-24 : 18:00 : admin
# 顔の使い方
はじめまして、SWIFTメンバーのYouと申します。
私は現在、一時的にアメリカに住んでいます。
これまでも何回か旅行でアメリカに来たことはあったのですが、
住んでみて一番驚いたのが自分の持っていた先入観の多さです。
今回はその中でも特に現実との落差が印象的だった、
感情の表し方についてです。
もともと私の中には「アメリカ人は大げさに感情を表現する」
というような先入観があり、実際今もそう感じています。
ただ、以前は言葉で自分の思っていることを伝えればよいのだろうと
思っていたのですが、住んでみてそれだけではないことがわかりました。
足りなかったのは顔の表情です。
こちらの方は本当に表情が豊かで、赤の他人でも目が会えば
まさに破顔一笑というかんじの笑い方をしますし、
何かわからないことがあると眉間にくっきりと皺を寄せます。
文化も背景も異なる者が共存する社会だからこそ
必要なことなのでしょうが、
相手の気持ちが一目でわかり、人と接するのが楽になるという、
なかなかに便利な習慣です。
できれば日本に帰ってからも維持したいですが…
相手が反応してくれないと虚しいような気がします。
むやみに笑いかけていると疎まれそうな気もします。
感情表現の難しさを痛感している今日この頃です。
私は現在、一時的にアメリカに住んでいます。
これまでも何回か旅行でアメリカに来たことはあったのですが、
住んでみて一番驚いたのが自分の持っていた先入観の多さです。
今回はその中でも特に現実との落差が印象的だった、
感情の表し方についてです。
もともと私の中には「アメリカ人は大げさに感情を表現する」
というような先入観があり、実際今もそう感じています。
ただ、以前は言葉で自分の思っていることを伝えればよいのだろうと
思っていたのですが、住んでみてそれだけではないことがわかりました。
足りなかったのは顔の表情です。
こちらの方は本当に表情が豊かで、赤の他人でも目が会えば
まさに破顔一笑というかんじの笑い方をしますし、
何かわからないことがあると眉間にくっきりと皺を寄せます。
文化も背景も異なる者が共存する社会だからこそ
必要なことなのでしょうが、
相手の気持ちが一目でわかり、人と接するのが楽になるという、
なかなかに便利な習慣です。
できれば日本に帰ってからも維持したいですが…
相手が反応してくれないと虚しいような気がします。
むやみに笑いかけていると疎まれそうな気もします。
感情表現の難しさを痛感している今日この頃です。
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