PROFILE
POWERED BY
    POWERED BY
    ぶろぐん
    SKIN BY
    ブログンサポート
OTHERS

# 命名する愉悦
じゅんです。関東近郊のとある女子大で経営学を教えることになったときの話。出席簿に並ぶ名前をみて、「おお、ここもか・・・」、と嘆いてみせたのは、わたしの年のせいでしょうか。

カタカナで表記しますと、エミリ、サリイ、マリア、ユリア、カレン、セリナ、いるわいるわ。つまりは漢字で綴れる、響きが外国語っぽくあるお名前。今もこれ、慣れないんだなあ。とどのつまり親の趣味なのでしょうが、ご本人たちにとっても、ごく自然なネーミングなのでしょう。今はむしろ、古風な名前が復活しつつあると、どこかでちらっと聞いたけど。

多くの日本人がそのような欧米的な名前の「響き」に惹かれている一方で、非漢字圏の外国の方が、表意文字である漢字の「綴り」に、強い憧憬を持っているようなのですね。

遡ること10年以上前、アメリカに留学時代、ぼくはあるスパニッシュ系アメリカ人とルームシェアをしていました。彼の名はRene(発音はルネイ)。彼は知り合って間もないぼくに、”You know what? I have a Chinese name too”と告げ、得意満面の笑顔でもって次の漢字をノートに書き出しました。「瑠寧」。”This is sexy, isn’t it?”まあ、確かにね。

ところで一昨晩、とある講演会で、日本国籍を取得したアメリカ人からお話を聞く機会がありましたが、彼の名前も非常にそれっぽいものでしたね。でもよく考えたら、自分の名前というのは、通常は親から与えられるもので、自身の名付け親になるケースって、珍しいですよね。命名する愉悦が、ひときわ大きいかもしれない。

ちなみについ先日、甥っ子に娘が生まれたところ。又姪(grandniece)っていうのかな?おそるおそる、その子の名前を聞いてみると、返ってきた答えは、「リオン」。

だぁあ、そうか、やっぱしぃ!

ちなみに「莉音」と書きます。いい名前だ。どうかいい子に育ちますように。

Jun : comments (x) : trackback (x)
# 旅と言葉
久しぶりの投稿。じゅんです。2月末より10日間強、プライベートで、ポルトガル・南スペイン(アンダルシア地方)・モロッコを旅してきました。仕事以外で海外に行くのは、本当に何年ぶりか、「旅人」モードに気持ちが切り替わるまで、しばらくの時を費やしました(もったいない・・・)。

旅程日程を完璧には定めていなかったので、前の晩の宿で、明日は泊まろう、移動にはバスを使おう、いややっぱりこのルートだと列車からの眺めがきれいかな、そうすると駅に着くのは18時過ぎになるから宿はこっちが便利かな、なんて考えて時間を浪費できるのがフリー旅行の一番の醍醐味。もう15年も前、バックパッカーとしてヨーロッパを放浪していた頃の記憶が蘇って、感慨深いものがありました。

以前から思っていましたし、誰しもが持つ感想でしょうが、旅先の言葉を少しでも操れると、旅の印象がずいぶんと変るものですよね。昔かじったスペイン語、本当に片言ですが、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダに滞在中、ホテルやレストランで使ってみました。地元の人の表情もほぼ確実にゆるっとするし、結果、そこで過ごす時間、空間に対する親近感がぐっと強まる。ビールはすすみ、チップははずむ。

これはそうなんだろうと思います。アジア人のわたしがヨーロッパの非英語圏(ってほとんどそうだけど)を旅してその土地の言葉を一切用いようとせずに、まあ英語は「グローバル言語」だしなといって英語に頼って、それにより地元の人たちに若干しらけられてしまうというシチュエーションは、日本を訪れたヨーロッパのツーリストが、日本語以外のアジア言語(例えば、中国語の普通語プートンホアとか、話者人口が多い言語)を駆使して地元の日本人に対してコミュニケーションを求めてくるようなもので、日本人からしたら、「いやそれうちの国の言葉とは全然違いますから」といったものに、近い(のかなきっと)。その言葉が英語なら、あるいは「しかたがない」ということにもなりますでしょうが(日本人の多くって、わたしも含め、英語にコンプレックスがありますから、英語を話せないこちらが、「あっ、どうもすいません」みたいになるんでしょうね)、その種の違和感や反発は、素朴な愛国心に加え、論理や理性が導くものかもしれないですね。もちろん観光客相手の商売は、どの言語にも「にこやか」に対応したほうがうまくいきそうですが、そのあたりのバランスは難しそうです。

どっちにしても、日常会話のレベルで各国の言葉が使えたら、世界を巡り歩くのは何倍も愉快な経験になるにちがいないな、と改めて思うわけです。

Jun : comments (x) : trackback (x)
# パスポート更新中につき(「パリ空港の人々」)
一週間ぶりの「じゅん」です。

「パリ空港の人々」という映画をご覧になったことはありますでしょうか。1993年制作のフランス映画で原題は「Tombés du Ciel」。監督はフィリップ・シオレ。

カナダとフランスの二重国籍を持つ主人公(ジャン・ロシュフォール)が、妻に会いにフランスに飛んできたものの、パスポートを盗まれていたために空港で入国を拒まれ、いろいろな事情からトランジット・ゾーンに長年住まう「ボーダーレス」な人々と数日間を一緒に過ごすという、不思議な物語。

ゲートの外にいて憤怒の形相で夫の出国を待っている主人公の妻は、イタリアに暮らしているスペイン人という、国際色豊かな舞台設定が特徴の作品です。わたしは大学で世界の移民問題を教えているので、国籍や国境の意味を考えるための映像素材として、授業で使うんですね。

でもって今現在わたし、パスポートを更新中です。10年ぶり。10年前に申請で使った写真ですら、さらにさかのぼることその3年前に撮ったものなので(本当はイケマセン)、今のわたしとはまるで別人でした。「わたしもずいぶんと老けました」、というレベルの話ではなく、髪型はもちろん、顔の形すらも、目の輝きさえも、これはもう絶対に激しく別人。誰がどの角度から見ても違う人。

ところが、パスポートに「別人」の写真を貼ってそれで困ったかといえば、まったくそんなことがなかったのです。仕事柄、年に2〜3度は海外に行くのですが、空港のイミグレーションで引っかかることは滅多になく、「ちょっと・・・、もう少し人の顔をみようよ」と、こちらが心配になるくらい、すんなり入国させていただけます。

思うに彼ら入国審査官は、人種や民族にかかわらず、化粧を厚く重ねようが整形を丹念に施そうが、地球人でさえある限り、私たちが知らないプロのノウハウでもって、目の前の人物の顔とパスポートの写真の顔を、ほぼ一瞬でほぼ完璧に照合するのでしょう。そうでなければ、あんな「チラ見」程度で、自信を持って判別がつくわけないから。

最近では、入国審査にバイオメトリクス技術(生態認証装置)が導入され〜日本では2007年11月から始まっています〜、身元の照合をコンピュータと電子化されたデータに頼ることが増えています。そうすると遠くない未来、イミグレの職員さんたちが伝統的に培ってきた「顔識」のテクニック(そんなものが本当にあるのだとしたら)は、知らず知らずのうちに失われていくのでしょう。

それはそれでおいておいて、「パリ空港の人々」、オススメです。
ツタヤオンライン下
http://www.tsutaya.co.jp/works/10001665.html
あ、でも今夜は「アバター」を観に行きます。

Jun : comments (x) : trackback (x)
# 多文化・多言語といえば(2月4日のブラタモリ)
はじめまして。SWIFTメンバーの"じゅん"です。普段は大学で、世界や日本の移民問題や多文化・多言語状況の実態を教えています。このメンバーズブログには時折お邪魔し、こういった話題に触れていきたいと思います。

さっそくの多文化・多言語ネタですが、つい先日2月4日のブラタモリ(NHK総合22時〜)で、東京の大久保地区が取り上げられていましたね(案内人は法政大学の稲葉佳子先生)。あのエリアは外国人居住率が40%にも届き、韓国はもちろん、東南アジアやインド、アフリカや中東の出身者も集うマルチエスニックタウン。

路地の奥まったお店には刺激が強そうな珍食材が所狭しと並び、行き交う人の顔立ちや話す言葉も多様そのもの、東京が誇る新名所だと思うのですが、みなさんは体験済みでしょうか。

※番組はオンデマンド(315円)で観られるそうですよ→
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010013949SC000/index.html

Jun : comments (x) : trackback (x)