PROFILE
POWERED BY
    POWERED BY
    ぶろぐん
    SKIN BY
    ブログンサポート
OTHERS

# 『プリズナーズ』
こんにちは、蓮です。

5月3日から全国ロードショーが始まった『プリズナーズ』を見てきました。ある日突然娘が失踪してしまった父親が主人公。警察の対応に納得のいかない彼は、一旦は拘束されたもののすぐ釈放となった容疑者が誘拐犯であると確信し、自らの手で娘の居所を掴もうと行動を起こすのですが…。

これ、失踪事件の謎を追う只のサスペンスだと高を括っていると、奈落に突き落とされます。予告編を見てある程度予想はしていましたが、その予想を上回るヘビー級。正直、かなりイヤ〜な気分になる映画です。何しろ、出てくる人が殆ど嫌な人間ばかり。いや、普通の人間に潜む嫌〜な面=暗部が、彼らが追い詰められる中でどんどん炙り出されてくる、と言った方が正確かもしれません。

絵に描いたような“悪人”ではない、寧ろ、その気持ちには痛いほどわかる部分もあるので、余計にやり切れなくなるのです。彼らにどこまで共感できるか、或いは否定したくなるかは、個人差があると思いますが(私は完全に後者でした)、ネタバレを避けるために詳しいことが書けないので、ぜひ実際に見て判断してみてほしいと思います。

なお、イヤ〜な気持ちになるヘビーな映画とは言っても、作品としてはかなりよく出来た力作です(メジャーな商業映画の限界を感じる部分もありますが)。約2時間半と、分量もかなりヘビーではありますが、寝不足の中を観に行っても眠くなるどころではありませんでした。俳優も皆巧いです。特に主人公を演じたヒュー・ジャックマンは、日本でもお馴染みの『X-MEN』とも『レ・ミゼラブル』とも全く違う顔を見せているので、見たら驚かれる方も多いでしょう。

個人的には、アメリカの思想や宗教観の一端が垣間見えるという意味で、文化論的にもとても興味深い作品だと思いました。映画は祈りの言葉で幕を開け、続くシーンでは主人公が息子に、自分が父親から学んだ「常に備えよ」という教訓について語り、何が起きても自分で何とかして切り抜けるのだと諭します。アメリカに昔から根強いと言われる、この保守的な個人主義が、思い込みや過信と一緒になった時にどうなるのか。そうした思い込みや、自分に都合のいい論理といったものを正当化する上で、宗教や信仰がどんな役割を果たすのか。そうした点に着目しても、非常に考えさせられる作品です。

ちなみに、見終えてから気付いたのですが、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは、2010年にジニー賞(カナダのアカデミー賞的な賞)8部門を制覇した加仏合作映画『灼熱の魂』を撮った人です。この映画、日本で公開された年の私のベスト1でした。これ又ヘビーな作品ですが、好き嫌いで言うと、私的にはこちらに軍配が上がります。機会があれば、ぜひ。

続き▽
Ren : comments (x) : trackback (x)
# 異文化体験(2)
こんにちは、蓮です。

さて、銭湯初体験記、前回は番台から脱衣所に足を踏み入れる手前で終わりましたので、今回はその続きです。

脱衣所は、料金を払ったりするスペースからは当然中が見えないようになっているものの、扉等は無く、慣れていない人間の感覚だとちょっと心許ないような。しかし、入るや否や、いっぺんでその空間が好きになってしまいました。予想外に広い!そして天井が高い!お寺さん等で目にするような、艶やかな焦げ茶色の格天井が見事です。古い建物の好きな人間にはたまりません。(場所が場所なだけに、写真を撮るわけにいかないのが残念。)

床も板張りで、隅に積まれた籐カゴや大きく無骨な体重計、大昔の美容院にあったような背もたれからお釜の生えたソファ(後で番台の方に聞いたら、ヘアドライヤーとのこと)…映画やドラマでしか見たことのないような、なのに何故かひどく懐かしい心地にさせられる場所でした。驚いたのは、洗濯機の存在。銭湯の横にコインランドリーが併設されているのに、更にここにも…。浴場内では洗濯をしないでください、という貼り紙があったので、その防止のために設置したのでしょうか。確かに時間的なことを考えると、お風呂から出てくる頃にはちょうど洗濯が完了していそうだし、脱いだものをその場で洗えるわけですし、「銭湯に入っている間に洗濯」ってなかなか効率的な気がします。

なんとも「昭和」なノスタルジックな雰囲気に、こんな場所が都心にもまだあるんだなぁ…銭湯って何処もこんな感じなんだろうか…と思いつつ脱衣準備。荷物は壁際に並んだコインロッカーに入れるのですが、どうしても高く積まれた籐カゴを使ってみたくて、とりあえず着替えをそこに(貴重品等はもちろんロッカーに入れました)。服を脱いだら、いよいよ本丸?の浴場に入ります。

ガラス戸を開けた途端に鼻孔に感じる、家のお風呂とも、温泉ともプールとも違う独特の香り。何年か前に行っていたスポーツジムのお風呂も、こういう匂いはしなかったと思います。何と言うのか、温かさと、ある種の爽快感にも似た…これもまた、知らない筈なのに懐かしい気がする香りでした。脱衣所よりさらに高い天井のせいか非常に開放感があり、ジトッと湿った感じのない、温かいけれど爽やかな空気が漂っています。

そして、湯桶が木!プラスティックのものも置いてありましたが、ここはもちろん木製を選びたいところ。しかし、湯桶と椅子を手にしてカランの前に向かい、いざ体を洗う段になると、慣れない初心者はどうも気恥ずかしさが先に立ち…誰も人の体など見てはいないとわかっていても、気になってしまうのです。加えて、カランのプッシュ式蛇口は、何回も押さないと湯桶にお湯が溜まらないし、シャワーは海外のホテルによくあるような固定式。この辺は、正直使い辛さが先に立ちました。

体を洗ってそそくさと湯船へ……あっつい!!壁の貼り紙によると、東京の銭湯の湯温は、保健関係の法律だか条例だかが変更されて変わったそうなのですが、ここはその変更以前の湯温を維持しているのが売りらしく、その熱い湯船を求めて遠方からもお客さんが来るらしいです。

温泉に行っても熱すぎて浸かっていられないことがままある、ぬるま湯好きの私。それでも、壁のペンキ絵を眺めながら頑張ってみました。素朴な風景画のペンキ絵も銭湯らしくていいですが、その下にある鯉のタイル絵(染帯にありそうな日本画風)がレトロで素敵です。いつ頃のものなのかわかりませんが、あちこちヒビが入っていたりして、結構な年季ものの気がします。

髪を洗ってもう一度湯船に戻り(あっと言う間に慣れるもので、この頃にはもうほとんど人目は気にならないように)、じっくり温まってから上がりました。やっぱり湯船に浸かれるのは良いものです。脱衣所では、とりあえず一通り試してみようと、体重計に乗ったり、籐椅子に腰かけて水を飲みつつクールダウンしたり、コイン式ドライヤーを使ってみたり…ドライヤーは温風が出ないし、お釜に頭を入れてしまうので手で梳いたり頭を動かしたりができず、使用感はイマイチでした。

カランやシャワーもそうですが、そうした若干不便な点も含めて、昔ながらのこの風情は、何物にも代えがたい良さがあります。それなりに歴史の長い銭湯なのではないかと思いますが、古いながら清潔感があって、とても居心地の良い空間でした。既に自宅のバスタブも完備されましたが、今後も気が向いたらぶらっと訪ねてしまうかもしれません。

※掲載写真はイメージです。

続き▽
Ren : comments (x) : trackback (x)
# 異文化体験
こんにちは、蓮です。

少し前に、日本人男性が外国人の友達を銭湯に連れて行くという入浴剤のCMがありましたが、確かに銭湯というのは、空間としても慣習としても、非常に特色のある文化だと思います。ただ、例えばトルコにはハマムがあったり、温泉を楽しむ風習はヨーロッパやアジア各国にもあったりするので、よく言われる「外国人は大勢で風呂に入る習慣がない」とか「人前で裸になって入浴するのに慣れていない」といった断定は、少し乱暴な気がします。(確かに、温泉は水着着用が一般的なようですが。)

そもそも、今となっては日本人にとっても“馴染み深い”とは言い難い銭湯。世代や住んでいる地域によっては、「見たこともない」という人もいるかもしれません。(所謂「スーパー銭湯」は既に別モノという気がするので、ここでは昔ながらのスタイルの公衆浴場を指して「銭湯」ということにします。)

私の場合、生まれ育った町にも、独り立ちしてから暮らした3つの町にも、全て近所に銭湯が1軒はありましたが、それでも利用した経験となると皆無。ほぼ行楽地あるいはリゾート扱いの温泉と違い、近所の銭湯となると、家にお風呂があって当たり前の今、わざわざ行く理由が見当たらないのです。

しかし、その「行く理由」が降って湧き、初体験して参りました。銭湯。右も左もわからない初めての人間にとっては、まさに異文化体験でしたので、ちょっとその様子をレポートしたいと思います。

新しい家に越した当日、頼んでおいたバスタブがまだ届いていなかった我が家。ガスや水道は通っているので、シャワーで済ませても良かったのですが、すぐ処分する予定の古いバスタブがまだ浴室に置かれたままで、それをビショビショにしてしまうのも後が面倒だな〜と気が引けました。丁度すぐ近所に銭湯を発見、引越し疲れを取るためにも、ゆっくり広いお風呂に浸かりに行くか!と思い立ち、初挑戦を決めたのでした。

行ってみると、建物のファサードは近代的に改装されているものの、昔ながらの破風と瓦屋根の見える、小さいけれどなかなかに風格のある建物。暖簾をくぐると正面に、木札の鍵が付いた下駄箱がずらり…と、これは飲食店などでもたまに見かけるものなので、戸惑うことなくクリア。ドアを開けていざ中に入ると、カウンターの奥に年配女性が。これが所謂「番台」かぁ〜!と思いましたが、高くなった台の上ではなく、カウンターの向こうに座っていらしただけなので、これは「番台」とは言わないのかもしれません。

ここで入浴料を払って脱衣所のスペースへ。ちなみに、東京の銭湯の入浴料は、何処でも一律450円(一般料金)と決まっているそうです。「この値段じゃ、毎日入るには厳しいのでは…」と思いましたが、もはや毎日入りに来る人がいないからこそのこの値段なのでしょうか。(しかし、今の世でも風呂無しアパートが無いわけでなし。そういう物件に住んでいる方はどうされているのでしょうか?)

銭湯といえばどうしても「瓶入り牛乳」が付き物なイメージがありますが、番台を抜けてすぐの所にクリスタルガイザーがあったので、水分補給に購入。自販機ではなく、冷蔵ケースに入っており、自分で取って番台に現金を支払う方式でした。

そしていよいよ、脱衣所へと足を踏み入れるわけですが…長くなりましたので、銭湯初体験記、続きはまた次回。

続き▽
Ren : comments (x) : trackback (x)
# zero/gravity
こんにちは、蓮です。

この記事が掲載される翌日の3月15日、東京では某局で映画『宇宙兄弟』が地上波初放映されるようですが、それはさておき、日本映画に“宇宙もの”が少ないのは、VFXの技術力や予算的な問題が絡むのはもちろん、やはり宇宙開発における実績の少なさや、世間の関心度が影響しているのではないかと思います。実際、小惑星探査機はやぶさがサンプルを採取して帰還し、多くの話題を集めた後には、同時期に2本の“はやぶさ”映画が制作されました。つまり、現実の世界で実績が積み重ねられ、注目度が高まれば、日本でも宇宙映画が増えていくことになるのかもしれません。

そうした意味で、アメリカ映画に数多くの宇宙ものが存在するのは、当然という気がします。史実に基づいた『アポロ13』やドキュメンタリー『ザ・ムーン』から、SF映画の極北ともいうべき傑作『2001年宇宙の旅』まで、数々の宇宙映画は、アメリカにおける宇宙への関心の高さと残してきた足跡の証でもあります。(『2001年〜』は正確には米英合作ですが。)

今年のアカデミー賞で7冠に輝いた『ゼロ・グラビティ』も、そんな宇宙映画の系譜に名を連ねる作品の一つ。監督賞を受賞したのは、久々に自らメガホンを取ったアルフォンソ・キュアロンでした。『ハリー・ポッターとアズガバンの囚人』や『トゥモロー・ワールド』等で知られる彼ですが(個人的にはメキシコで撮った『天国の口、終わりの楽園』が好き)、今回は、宇宙空間で孤立無援の状態に置かれた宇宙飛行士の闘いを、とてつもない緊張感の中に描き出しています。

これまでにも、宇宙飛行士の遭遇する危機を描いた映画はありましたが、本作の場合、シャトルの中や惑星の上が舞台なのではなく、宇宙服に身を包んだだけの生身の人間が、広大な宇宙の無重力空間に放り出された状態にある、というのが肝。最先端の技術を駆使したその映画表現は、観客にとてつもない臨場感と、並のスリラーやホラー映画を遥かに凌ぐ緊迫感、恐怖感を感じさせてくれます。

この作品を見ると、きっと多くの人が一体どうやって撮ったのか気になるところだと思いますが、視覚技術だけでなく、実は音の使い方によって、臨場感と緊張感が非常に高まっているように感じました。これからご覧になる方には、ぜひ音にも注目して見て頂きたいと思います。

とはいえ、日本ではお正月映画として公開された本作、そろそろ上映が終わってしまう地域が多いでしょう。しかし、映画というより体験型アトラクションに近いかもしれないこの感覚は、家のTV画面では絶対に味わえない筈。もしもこれから近くで上映があるという方は、ぜひお見逃しなく。きっとIMAXシアターで見るのが最高なのだろうとは思いますが、普通の3D上映でも充分楽しめます。とにかく、どうせ見るなら大画面で、宇宙空間に身を置いた気になって見ることをオススメします!

最後に本作のタイトル、邦題では『ゼロ・グラビティ』となっていますが、原題はゼロのない”Gravity”。邦題はおそらく、映画の舞台が無重力空間であることや、無重力状態にあることの恐ろしさといった面に焦点を当てて決められたのでしょう。その意味では的外れなタイトルではないと思いますが、実は作品の真のテーマは、原題のGravity=重力にあるのです。見る際には、その辺りも頭の隅に置きながらご覧になるといいかもしれません。

続き▽
Ren : comments (x) : trackback (x)
# マイブームなるか?
こんにちは、蓮です。

東京ほか各地で稀に見る大雪が降ったり、かと思えば春の息吹がほんのり感じられる日があったりと落ち着かない日々ですが、2014年が始まって早2ヶ月が経過しました。今年こそ何か新しいことにチャレンジしてみようかと思いつつ、特に何もしないまま終わる年が多い中、今ちょっと気になっているのが…チェスです。

実は、子供の頃から家にチェス盤がありました。かといって家族の誰かが嗜んでいるわけでもなければ、遊び方を教えてもらったこともなく、何故あれが我が家にあったのか今もって謎なのですが、子供心に市松模様のボードや駒の造形に美しさを感じ、なんとなく憧れを抱いていました。しかし、家族の団欒にオセロやドミノ、バックギャモンなどで遊ぶことはあっても、そうした場にチェスが登場することはついぞ無く、そのまま月日は流れていったのです。

日本でチェスに馴染みのある人は少ない気がします。もちろん愛好家はいるのでしょうが、他の様々なゲームに比べると、一般的にはマイナーな存在です。家族や友人同士で気軽に遊べるゲームというイメージはないような…。というのも、?マインドスポーツ?などと呼ばれるくらいで、娯楽的要素の強いゲームというよりは、論理的思考を要する頭脳ゲームの要素が強いからだと思います。

学生の頃に『ボビー・フィッシャーを探して』という、チェスの天才少年にまつわる映画を見ましたが、やはり?チェス=難しい??遊びというより競技?というイメージが強く、自分もやってみようという気にはなりませんでした。しかし、最近になって、『END GAME 〜天才バラガンの推理ゲーム』というカナダのTVドラマを見始め、ふと実家にあったチェス盤のことを思い出し、またちょっと興味が湧いてきたのです。このドラマは、ある事件以降宿泊先のホテルを出られなくなった、言ってみれば引き籠りのチェスの世界王者が、ホテルの従業員や自分のファン、家族らを駒のように使いながら事件を解決に導くというもので、ハッキリ言ってチェスそのものは殆どドラマの筋と関係がありません(まだ見始めたばかりなので、この先どうなるのかはわかりませんが)。ただ、人並み外れて論理的思考に長けたチェス王者という設定で、事件を読み解く力に説得力を持たせているわけです。

彼にしても、前述の映画の天才少年にしても、おそらく持って生まれた才能が前提としてあるのですが、それでも訓練によりその能力が強化されていくことは間違いなく、実際、例えばアルメニアでは2011年より、子供の知能発達を促す効果を期待して、小学校でチェスが必須科目になったそうです。そんな話を知ったこともあり、別に世界王者を目指すわけではないのだし、今からでも思考力の訓練を兼ねてやってみたら面白いかも…と思ったりしています。

ちなみに、アルメニアもそうですが、旧ソ連圏は伝統的にチェスが盛んらしく、チェスの世界大会ではロシア系・東欧系が圧倒的に強いのだそうです。(上記ドラマの主人公もロシア人。なお、映画のタイトルにも登場するボビー・フィッシャーは、70年代にアメリカ人として初のチェス世界王者となった実在の人物ですが、彼以降、アメリカ人チャンピオンは出ていません。)その理由としては、旧ソ連が国策的にチェスのプレイヤーを育成していたからだとも聞きますが、そもそも何故?チェス?を強化しようということになったのか、その背景に興味が湧きます。チェスの起源は古代インドにあると言われており、ロシア発祥のゲームというわけでもありません。厳冬に室内で暇を潰すにしても、他にも選択肢は色々あったでしょうし…。どうしてチェスだったのか、やってみれば、その答えも見えてきたりするのでしょうか。

Ren : comments (x) : trackback (x)
# Year of the Horse
こんにちは、蓮です。

松が取れて随分経ち、早くも1月が終わろうとしています。とはいえ、私にとってはこれが2014年初ブログなので、ここは是非、何か新しい年にちなんだことを書きたいと思います。

今年は午年ですが、そのものズバリのタイトルの映画をご存知でしょうか。1997年のアメリカ映画、『イヤー・オブ・ザ・ホース』。とはいっても、別に午年の来歴であるとか、午年に起きた出来事を描いた作品ではありません。これは、新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』が公開中のジム・ジャームッシュが監督したドキュメンタリーで、ニール・ヤングと彼のバンド“クレイジー・ホース”をフィーチャーした映画です(つまり、映画のタイトルは、このバンド名に由来しています)。個人的には、音楽ドキュメンタリーとしては、十指に入る作品だと思っています。

1996年に行われた彼らのツアーを中心に、LIVEだけでなく、合間合間のメンバーの表情、ツアーバスから見える風景、さらにインタビューや過去のLIVEのフッテージも交えて、二―ルとクレイジー・ホースの30年間に及ぶ軌跡、その絆の一端を感じることができる映画になっています。二ールのみならず、バンドの個々のメンバーにここまで肉薄した作品はおそらく非常に珍しいもので、そういう意味ではファン必見の作品ではありますが、特にファンではない観客にも充分楽しめる作品です。

私自身、初めて見た時には、彼らのアルバム2、3枚を聞いているだけのごくごくライトなファンでしたが、それでもドキュメンタリー映画として、また音楽映画として大いに惹き付けられました。それは、ジャームッシュならではの、気負いや熱さのない淡々飄々とした作風と、それでも、いや、それ故に伝わってくるLIVEの熱気や音楽そのものの力があったからでしょう。

昨年来日したポール・マッカートニーは、71歳という年齢にも関らず丸3時間歌いっ放しのステージで観客を熱狂させたようですし(体験者談)、来月にはローリング・ストーンズも8年ぶりの来日公演を行います。二―ルは2011年に復興支援イベントのために来日したようですが、LIVEは久しくやっていない気がします(おそらく2003年が最後ではないかと)。現在68歳の二―ル・ヤングとクレイジー・ホースも、再び日本でLIVEを見せてくれる日が来るのでしょうか?久し振りにこの映画でも見ながら、吉報を待とうと思います。

結局、新年とまったく関係のない話になったしまったのは、ご愛嬌ということで。

Ren : comments (x) : trackback (x)
# クリスマスのお菓子
こんにちは、蓮です。

皆さんは、?クリスマスケーキ?あるいは?クリスマスのお菓子?といったら、どんなものを思い浮かべますか?

ここ数年、この時期になるとあちこちの店頭で見かけるようになったのが、シュトーレン。元々はドイツ発祥で、クリスマス当日を迎えるまでの降臨節の期間に、少しずつスライスして食べるものです。一方、シュトーレンより前から時々目にしていた気がするのに、今や存在感では若干遅れを取った感のあるのが、パネトーネ。こちらも降臨節の期間から楽しまれる、イタリアのクリスマス菓子です。前者はハード系、後者はブリオッシュ生地という違いはありますが、どちらも所謂?ケーキ?ではなく、パンの類。詳しい由来はわかりませんが、キリスト教とパンが切っても切れない関係にあることを考えると、ケーキよりパンの方が、なんとなくクリスマスにはふさわしい気もします。

しかし、このシュトーレンとパネトーネ、どちらも私が子どもの頃には、日本には無かったように思います。もちろん、一部のお店では売られていたのかもしれませんが、少なくとも一般的な存在ではなかった筈。当時は、クリスマスに食べる定番のお菓子と言えば、バースデイケーキと大差無い、サンタや柊の飾りが乗っかった丸いホールのケーキが主流でした。

ただ、お菓子作りが好きだった小学生の私は、レシピ本で見つけたブッシュ・ド・ノエルというクリスマスケーキに目を奪われ、母親にねだって買ってもらった記憶があります(自分で作るには、デコレーションのハードルが高すぎました)。フランス語で「クリスマスの薪」を意味するブッシュ・ド・ノエルは、その名の通り丸太を象ったロールケーキ。シュトーレンやパネトーネと比べると、遥かに日本の一般的なデコレーションケーキに近いものですが、三角のカットケーキと丸いホールケーキくらいしか知らなかった子供の目には、ものすごく斬新でお洒落に見えたのだと思います。

その後、二十歳を過ぎた頃からの、我が家の定番クリスマスケーキといえば、イギリスでレシピを教わってきたクリスマス・プディング。ドライフルーツやナッツを贅沢に使い洋酒をきかせたもので、シュトーレンやパネトーネのようなパン・タイプと、ブッシュ・ド・ノエルのようなケーキ・タイプの中間くらいに位置すると言えるかもしれません。子供の頃から、児童文学や小説の中で名前は知っていたので、初めて食べた時はちょっと感動しました。今でも、数あるクリスマス菓子の中でも一番好きな味です。

最近はミンスパイなどもたまに見かけますし、こうやって振り返ると、日本で流通するクリスマス菓子も種類が豊富になったのだなぁ、と思います。例えば、雛祭りのお菓子と言えば雛あられと菱餅、中秋節のお菓子と言えば月餅…と大体相場が決まっているわけですが、さすが、キリスト教圏が広大なだけに、クリスマスのお菓子は各国・各地域で様々なものがあるのでしょう。これまでのところ、ヨーロッパのものが中心ですが、そのうち、南米とかロシアとか、今はまだ日本では馴染みのない地域のクリスマス菓子も上陸するかもしれませんね。

Ren : comments (x) : trackback (x)
# R.I.P.
こんにちは、蓮です。

我が家の本棚の一番下の棚には、10年以上に亘り、バナナの絵が描かれた箱が飾られています。アメリカのバンドTHE VELVET UNDERGOUND(以下、VELVETS)のCD BOXなのですが、実はここ数年あまり蓋を開けることのなかったこのBOXを、最近、毎日のように開いては、5枚入っているCDを日替わりで聴いています。

先月27日、VELVETSのヴォーカリストで、解散後はソロ・ミュージシャンとして活躍したルー・リードが亡くなりました。VELVETSの名前は知らなくとも、アンディ・ウォーホルが描いたバナナのジャケットは見覚えのある方もいるかもしれません。

60年代、グリニッジ・ヴィレッジで活動していたVELVETSはウォーホルに見出され、彼のプロデュースしたこのアルバムでデビューを果たしました(ウォーホルの映画に出るなどしていたニコが参加、アルバムのタイトルも『THE VELVET UNDERGROUND AND NICO』となっています)。この作品は発売当時、商業的には全く成功しなかったそうですが、後に評価を高め、今では歴史的名盤の一枚とされています。

高校生の頃、好きだった日本のバンドのルーツ巡りから洋楽にハマっていった私に、?洋楽通?としては先輩だったクラスメイトがこのアルバムを貸してくれたのが、私とVELVETSとの出逢いでした。VELVETS自体はとっくに解散していましたから、やがてルー・リードのソロ作品を追いかけるようになります。ヴィム・ヴェンダース監督の映画に惹かれ、そのサントラにルーが参加しているのを知ったのも、それから間もなくのことでした。N.Y.パンクや、ウォーホルに代表されるアメリカン・ポップ・アート、彼の主宰するFACTORYの実験映画なども、VELVETSとの出逢いがなければ関心を持たなかったかもしれません。

ルー・リードの年齢を気にしたことがなかったせいか、享年71歳だったというのはちょっと驚きましたが、同年代のミック・ジャガーやポール・マッカートニーらの健在ぶりを見ると、やはり早過ぎる死だったと惜しまずにいられません。

VELVETSは、ドラッグや同性愛を扱った作品などから、一部では過激・退廃的と見做す向きもありましたが、15歳当時の私は英語詞の意味も大してわからず、(他のストレートなロックバンドや英パンクバンド等と比べ)むしろ穏やかでスッと心に入ってくる歌が多いように感じていました。最も好きな曲の一つ、『SUNDAY MORNING』も、歌詞は非常に内省的で陰鬱とも捉えられる内容ですが、それとは裏腹な優しいメロディとアレンジが印象的な作品です。

今回のブログタイトル?R.I.P.?は?Rest in Peace?の略。「どうぞ安らかに」という意味の、極めてよく使われる哀悼表現です。(最近はTwitterの普及もあってか、日本でも使う人が増えたように思います。)これまた私の大好きなバンドであるThe Whoは、ルー・リードの訃報に、Twitterで?R.I.P. Lou Reed. Walk on the peaceful side.?と呟いていました。これは、ルーの名曲『Walk on the Wild Side』にかけた言葉で、?wild?を?peaceful?に置き換えたところに、The Whoのメンバーのルーへの想い、そして哀悼の言葉らしさが表れていると思います。もし私がルーにメッセージを送れるなら、『SUNDAY MORNING』のあの曲調がぴったり来るような?終わることない穏やかな休日の朝?をどこかで迎えていてね、と伝えたいと思います。

Ren : comments (x) : trackback (x)
# 『第9地区』と『エリジウム』
こんにちは、蓮です。

先日、楽しみにしていた『エリジウム』というアメリカ映画を、ようやく見てきました。見たいと思った理由は唯一つ、2010年の私的ベスト1作品『第9地区』を手掛けたニール・ブロムカンプ監督の新作だからです。というわけで、それ以外には殆ど何の予備知識もないまま、劇場の座席に身を預けました。

そして2時間が過ぎ…いろんな意味で「やられた」というのが最初の感想。“『第9地区』そのまんま”だったからです。映画作家の中には、そのフィルモグラフィーにおいて、手を変え品を変えながら、同じテーマを繰り返し取り上げ、執拗に追い続けるタイプの人がいます。一方で、どんなテーマの作品であっても、固有のスタイルを維持して、その中で種々のテーマを描こうとするタイプの人もいます。しかし、ここまで同じテーマを同じスタイルで、しかも2作続けて繰り返した人も、珍しいのではないでしょうか。

ブロムカンプの長編デビュー作『第9地区』は、地球で隔離地区に身を寄せて暮らすエイリアン達が、当局の手で強制移住させられようとする中、彼らを管理監督する機関の人間である主人公が、事故により徐々に身体に異変をきたし、「追い立てる側」から「追われる側」へとシフトしていく…というストーリー。今の現実社会に対する批判をハッキリと打ち出しながら、あくまでSFアクション・エンタテインメントの様を呈した、非常に面白い作品でした。

今回の『エリジウム』は、前作のようなエビ型?エイリアンこそ出てこないものの、やはりれっきとしたSF映画。荒廃した地球と富裕層が住むコロニー「エリジウム」の二箇所が舞台で、前者に住む貧困層は、超高度技術の恩恵であらゆる病から解放された楽園である後者への移住を夢見ている、という設定です。主人公は、地球にあるドロイド製造工場(もちろん社長は“エリジウムの住人“)で作業員として働いているのですが、職場の事故で余命5日の命となり、身体を再生させるためにエリジウムへの密航を決意します。

階級対立、格差社会、差別といったテーマ、腐臭の漂ってきそうなデストピア、デフォームされた身体、そして最後には、その身体がぶつかり合う肉弾戦のアクションになだれ込む展開…何れも『第9地区』そのままです。とはいえ、無名の役者ばかりだった前作とうって変わって、マット・デイモンとジョディ・フォスターという大スターをメインに据え、予算も文字通りの桁違い。大作になった分だけ、ハードコアな魅力とグロテスク嗜好はやや鳴りを潜め(それでも苦手な向きには「ウッ」と来そうなシーンがありますが)、落ち着くところは予想通りの結末…と、「ハリウッドメジャー化する」とはこういうことかと思わせる節もあります。前作を受け付けなかった層でもこれなら見られるだろう、という意味では、『第9地区 普及版』と名付けてもいいかもしれません。

一方、その『第9地区』ファンとしては、正直、薄味になってしまってつまらない、不満な部分も大いにある、というのが本音なのですが、それでも、格段にスケールの大きくなった“舞台”で、自分の言いたいこと・やりたいことをしつこく貫く監督の姿勢には、「いや〜、嫌いじゃない」とニヤリとしたくなるのです。実際、冒頭から、主人公をはじめとする貧困層が話しているのがスペイン語という直截な表現といい(当然、監督には現実の南北問題への意識があった筈)、エリジウムに行くために戦う羽目になった主人公が、手術でマシーンと一体となり半ドロイド化する肉体変容の盛り込み方といい、きっと私はニヤニヤしながらスクリーンを眺めていただろうと思います。

ブロムカンプ監督にとって、おそらく正念場となるのは次回作。こうなったら、このまま我が道を突き進んで欲しいと願いつつ、さすがに『第9地区 パート3』をやっても芸が無さ過ぎますから、自分のテーマとスタイルを如何に変奏していくのかが鍵となるでしょう。ちょっと調べてみたところ、現在プリプロ中の長編3作目は、ヒュー・ジャックマン主演のSFコメディとか!?確かに、これまでの2作品でも、ちょっとクセのあるユーモアをそこかしこに挟んできたブロムカンプ。やっぱり、次回も気になります!!

Ren : comments (x) : trackback (x)
# 3人のアニメーション作家に寄せて
こんにちは、蓮です。

先頃、日本を代表するアニメーション監督の宮崎駿さんが、長編アニメーションからの引退を発表されました。現在、長編としてはおそらく最後の監督作品になるであろう『風立ちぬ』が公開中です。一応、宮崎監督の作品は毎回劇場で見ることにしている私ですが、前作『崖の上のポニョ』が今一つ響かなかったこともあり(ちなみにマイベストは迷うことなく『風の谷のナウシカ』です)、期待半分・不安半分で見に行ったのですが…これが素晴らしかった。宮崎さん、最後に“真に大人のための映画”を作ったなぁ、という印象です。非常に抑制のきいた、しかし作り手の強い思いの感じられる作品でした。

というわけで、本来は『風立ちぬ』について存分に語りたいのですが、このブログの趣旨からちょっと外れてしまいそうなので、監督の引退会見にちなんだお話をしたいと思います。

世界にその名を知られる宮崎監督だけに、最初の引退発表はヴェネツィア映画祭で行われ、続く日本での監督本人の会見にも、各国から数多くのメディアが馳せ参じたようです。そのため、会見の質疑応答では、外国人記者とのやり取りも活発だったのですが、その中で、二人の外国人アニメーション監督の名前に言及がありました。フランスのポール・グリモー(故人)とロシアのユーリ・ノルシュテインです。

グリモーは、その代表作『王と鳥』が、50年代に『やぶにらみの暴君』の名前で日本公開された際、宮崎監督や盟友・高畑勲監督に多大な影響を与えたことで知られています。会見でも宮崎さんはそのことに触れ、今見てもその志や世界の作り方に感動すると話していました。

『王と鳥』は、未完成のまま公開された『やぶにらみの暴君』の権利をグリモー自身が買い戻し改作した、いわばディレクターズ・カットとも言うべき作品。私はこちらしか見ていないのですが、子供も充分に楽しめるアニメーションの中に風刺や政治性を詰め込んだ、非常に優れた映画になっています。その素晴らしさは、脚本をグリモーと共に、フランスの名脚本家ジャック・プレヴェール(代表作に『天井桟敷の人々』等)が手掛けている点に負うところも大きいと思います。また、ファンなら「あぁ!」と膝を打つくらい、宮崎アニメへの直接的な影響も見て取ることができる作品です。

“映像の詩人”と称えられるノルシュテインは、私の最も好きなアニメーション作家の一人ですが、そのあまりにも美しく繊細な世界を言葉で説明するのは非常に困難です。色々な人が彼の作品について語っていますが、しっくり来るものに出会ったことがありません。従って、私ごときがおいそれと語れる筈もないわけで、これはもう作品を見てくださいとしか言いようがないのですが…ちなみに、アニメーションのプロ138人が選者を務めた『世界と日本のアニメーションベスト150』という本では、ノルシュテインの『霧につつまれたハリネズミ』と『話の話』が1位、2位を独占しています。

ノルシュテインは友人且つ負けてたまるかと思う相手だ、と語った宮崎監督。彼が80年代から中断を挟みつつも一つの作品(ゴーゴリ原作の『外套』)に取り組み続けていることについては、「それも一つの生き方だと思う」と話していましたが、宮崎監督にも、短編でもいいし何年かかってもいいので、ぜひ何らかの作品作りを続けて頂きたいと思います。

Ren : comments (x) : trackback (x)